2007年12月26日水曜日

寒い - 棲家

NYで住んでいたアパートは、暖房でとても暖かかった。だから、冬でもTシャツ一枚で過ごしていたわけだ。ところが、日本の我が家は、「寒い」。基本的に暖房は、ガスストーブと炬燵。なので、部屋の中でもセーターがいる。昨年までは、2週間毎に往復していたので、この寒さもちょっと我慢すれば、暖かいNYの「我が部屋」へ戻れた。しかし、今は日々ここで暮らしているので、なんだか、体が「真」から冷えてきている感じがする。風呂はあるのだが、もともとシャワー派なので、家では風呂に入らない。なので、布団をかぶって寝ている時が、一番暖かい。さらに言えば、寝室は暖房がないので、部屋は寒い。冷え込む朝などは、吐く息が白い。帰国している3男も、寒いと言っているから、やはり我が家は特別寒いのだ。IBANOの語源は、ロシアのイワノフ。これはホントだ。写真は我が家。これはウソだ。

2007年12月25日火曜日

修行の谷間 - 根本中堂

今年は、「南北朝」あたりの話をかなり読んだので、年最後の旅行に、京都を選んだ。六波羅あたりは、もう何回も行っているので、今回は、比叡山と相国寺だ。日曜日、冬でロープウエイは止まっているので、車で東塔まで登る。30分。土曜日の大雨は上がっていたが、山腹に雲たなびき、京都市街と、琵琶湖が、九十九折の道の左右に見え隠れする。幻想的だ。信長の焼き討ちもあったが、最澄が天台宗を開いて1200年、点した灯は消えていない。「根本中堂」は、江戸時代の再建だが、本堂が一段下がった、独特な造りで、「修行の谷間」と言う。岐路は、琵琶湖側の坂本へケーブルカーで下りた。坂本は、日吉大社の門前町で、石積みで有名。司馬遼太郎が行きそこなった、「つるき屋」という蕎麦やで昼食を終えた頃には、晴れ間がのぞいた。宿泊したホテルは、なんだかアベック(死語か?)でいっぱい。そういえば、クリスマスだ。日本人は、宗教的には気楽なものだ。そういう自分も、夜はワインで洋食。「欧米か!」

2007年12月21日金曜日

共感マーケティング - 何と答える

朝8時からアカデミーヒルズで、星野朝子氏の講演を聞いた。星野氏は、ケロッグ88年なので2年後輩。丁度冬休み帰国中の3男も同行した。主題は、「ダイヴァーシティー」と掲題。前者では、Diversity Development Office, Diversity Steering Commitee など設置し、業績へ直結する取り組みが成功と理解した。掲題では、「Sympathy とEmpathy(共感)」の違い、「Empathyをどう高めるか」なんてのが、面白かった。要は、Sは身内に対して抱くもの、Eは他人に対して「抱こう」と努力する「スキル」と理解。「共感力」を高めるためには、①映画、本などの(自分から遠い)キャラクターになりきるシュミレーション ②自分をよく知る ③待つ態度の実践(「解」を提示しない) ④観察する態度 ⑤PDCA。 こう並べると、ロジャースのカウンセリング理論に立脚している事が想像できる。そして最後だが、「できません」と言われた時に、「何故?」と答えてはいけないのだそうだ。それでは、「できません」と言われた時には、何と答えるか? それは、「何が?」と答えるのが正解だそうだ。納得だ。

2007年12月20日木曜日

On Schedule? - On Demand?

組織が合理化、効率化を進め、そのまま放置すると、硬直的、官僚的になる。これをマックス・ヴェバーは「鉄の檻」と称した。開国以来の日本は、まさに「国家の興廃」をかけ、乾坤一擲、効率的な国家体制をとり、見事勝ち残ったが、ヴェーバーの予測どおりの、「鉄の檻」にはまった。官僚体質は、すべてがマニュアルで、「オン・スケジュール」である。学校の仕組みもそうだ。大学も4年間、とにかく在席せねば卒業できない。単位が取れれば卒業できる、アメリカの仕組みとはだいぶ違う。さて、関係ないようだが、昨年までは、NYからホリデーカード、東京から年賀状を出していたが、今年はNYにはもういない。そこで、ついでだが年賀状をやめようかを考えている。メールの時代でもあり、「ださないよ」という人も増えてきた。アメリカでは、ホールマークなどのカード屋さんが豊富で、冠婚葬祭、感謝感激、とにかく「オン・ディマンド」でカードを出す。「初対面の人には3日以内にカードを出せ」なんて言葉もあるくらいだ。とくると、年賀状をオン・スケジュールで出すなんてのは、官僚体質なのか、なんて「言い訳」を考えたりしてみている。

2007年12月19日水曜日

The Blank Slate - Steven Pinker

ミドルネームに「Steve」を持つ3男が、シカゴ空港、雪で足止め。その機内からメールが早朝に到着。だからというわけではないが、今朝からSteven Pinkerの掲題の本(和名:「人間の本性を考える」)の再読を始めた。今年は、水滸伝、三国志、太平記、ローマなどの歴史ものにはまっていたので、「人間科学」の知識ものは、少し休んでいた。そろそろ、年も改まるという事で、「新たな視点での思考整理をすべき時」と、私の「意識」が「要望」した。というのも、こういう「知識」ものは、自分の中の「動機」、「知識」や「課題」がないと、「目」で読めても、「頭」で読めない。もっと言えば、「理解」できても、「会得」ができない。だから、こちらが持つ、動機、課題次第で、会得する内容も厚みが違う。当たり前だ。朝のバスで数ページ読んだが、既に前回はできなかった、新たな理解(会得)が数箇所あった。人、本、映画など、おおくの源泉から「情報」を得ることは、レセプターを増やし、入力量を増殖させる。「人は芸術を食べて生きている」と言った人がいたし、「人の脳は解放系である事が必要で、情報の入出力を絶えずしないと閉鎖系になり腐る」と言った人もいた。ネット社会では、開放系と見えても、ループ閉鎖系になる場合があるので、気をつけなければならない。

2007年12月18日火曜日

Subpoena - 買えはしないが

サポンナではない。サブポエナでもない。「サッピーナ」と読む。この言葉を知る日本人は少ないだろう。更に書けば、これを「もらった」事のある日本人は、数えるほどしかいないだろう。もう15年以上前だが、私は米国下院公聴会への「サッピーナ(召喚状)」をもらった。今やJapanはPassingの時代を超えて、Vanishingかもしれないが、当時Japanは「飛ぶ鳥を落とす as a No1」で、Bashing の標的となっていた。そこで起こった、「米国内での米国人差別事件」の証人としての召喚だった。当初は、「冗談だろう」とたかをくくっていたのだが、弁護士から「拒否はJAILだよ」と脅されて、しかたなく出席した。トムラントス委員会。内容は省くが、「とても」貴重な経験をした。それよりも、「何でこんな事になるのよ?」という疑問の念が沸き起こり、そこから「我が人生」は、舵を切った。というより、元々興味があったテーマへ突き進んだと思う。つまりこうだ。「グローバルとは?」「日本とは?」「企業とは?」「仕事とは?」「社会とは?」「人生とは?」「人間とは?」という、「なぜなぜなぜ」の連鎖をたどったわけだ。「苦労は買ってでもしろ」。けだし名言だ。

2007年12月17日月曜日

OBかい? - 沈黙のかんぱい

朝8時から、大学時代のOB/3人で忘年テニス。昼間は、車にWAXをかけ、部屋を大掃除。そして5時から外人記者クラブで、カントリージャズを聴きながら、NY時代のOB/4人で忘年ワイン。充実した土曜日を過ごした。これは、松島さんを囲んだ楽しい会で、昨年の帰国以来、楽しみにしている。松島さんは、今年は映画500本という事で、日本で封切られる映画をほぼ制覇との事だ。NY時代からこのペースだとすると、何千本になるのだろうか?今年から始められた「365日映画コラム」も絶好調。毎日なんだから、脱帽ものだ。という事で、テニスと掃除での「筋肉疲労」、楽しい話で過ごした「酒食疲労」。この状態で日曜ゴルフに出かけたわけだ。運転手代わりに連行した次男は、私と大学は同窓、そして、この日のパートナーは、偶然大学が同窓。即席の大学OBゴルフ会となった。この大学は、同窓生が多いから、何処でもいるわけで、特段偶然という事は無い。例えば、私が新入社員時、ある先輩社員にエレベーターで、「同窓です、よろしく」と挨拶したら、「石を投げれば当たる」と冷たかった。それが縁なのか、30年たった今でも親しくしていただいている。それはそうと、ゴルフは「OB」多発で、今年最悪スコアとなった。「語れない事は、沈黙しなければならない」(ウトゲンシュタイン)。

2007年12月14日金曜日

世にも不思議な - しかし、、、

F先生。先月ボストンへ出張したおり、乗り換えのデトロイト空港、早朝のタラップで、別件・別便で移動中のM先生とバッタリ出会ったと言った。ご両名、そんなに多く海外へ行くわけではなく、しかも北米上空には常時4000機が飛んでいるわけで、その時間、その場所に出くわすというのは、偶然と言っても不思議な事だ。確立計算なんていう代物ではない。そう言えば、昨年だったか、自分も新宿で同じような「偶然?遭遇」を経験した。「不思議な偶然」という事かも知れないが、どう考えても、そこには「何かの必然」があると思われる。つまり、ヒトには意識にのぼらない、或いは、感知しても表象意識に残らない無意識の「MIND」があるという事だ。だから、種明かしをすれば、こういう遭遇も、何かの無意識情報に基づいて、行動時間と範囲が交差していると思われる。元々、「関係」がある人同士だから、こういうことが起こるので、「関係」がなければ、「偶然」もおこららない。あたりまえだ。「なじむ」「慣れる」というのは、無意識のレベルでの行為習得だが、帰国1年経ち、ようやく通勤路の信号の変わり具合などが、カラダのレベルで判るようになったし、ゴルフもテニスも少しは上達した。そんな事はどうでもよいが、今日は「財布」を家に忘れて来てしまった。

2007年12月13日木曜日

思い出ポロポロ - 負け惜しみ

小学校の同窓会案内が時々届く。足を運ぶ事はもうないのだが、時折電車で通り過ぎるので、概観の変遷はわかる。母校は卒業生14000名の内、70%の住所を把握していると書いてあるが、これはたいした事ではないだろうか。又、創立80年という事も知って、比較的新しい学校だったとも再認識した。というのは、子供達が通った現住所近くの学校は、今年が創立100年という。、調べてみると、「小学校制度」ができた1907年、その年に開校した事がわかる。「学校制度」は1886年なので、明治維新後だが、慶応大学などは、1858年創立だから、来年で150周年だ。記念切手発行も決まったという。懐かしいが、子供の頃記念切手収集が流行っていて、「慶応100年」なんてのは、定番中の定番だった。あれは1958年、私が小学校の時だった。あの頃は、「月に雁」とか、「見返り美人」なんてのが、高額で、ガラスケース越しに眺めた物だ。苦労して集めた切手帳も、札幌、シカゴ、NYと転々とするなか、どこかで無くしてしまった。それ以来、「物には固執しない」を心に決めて、昨年のNYからの転居の際も、「思い出」以外すべて捨ててきた。

2007年12月12日水曜日

ちょっと一服 - Change of Air

南北朝動乱前後の太平記あたりを、ここ1-2ヶ月読み続けたが、とりあえず読み終えた。これで買い置いていた時代物は机の上からなくなった。さてと、立ち寄った本屋で「内臓感覚」などという、変なタイトルに目がとまり、今日から読み出した。「脳腸関係」などと、面白い言葉が並ぶが、要はIBSという、ココロを腸の関係のようだ。20年間NYと往復をして、ダイジェスチョン関係は、大変な苦労をしてきたが、今は逆に、定住生活での食と消化関係に苦労をしている。だから、こいいうタイトルに目が反応するのは、ま、わかる気がする。「NHKブックス」は久しぶりで、2年程前はNHKブックスのはまり、ピンカースなどを、尽きるまで読み漁った。いつも書くが、こういうところは、「はまると、はまってしまう」性質のようだ。そして、はまると、全部読み終えないと気がすまない。全部読み終えると、次の「はまり」を探して「放浪」する。なんとも、わがままなものだ。

2007年12月11日火曜日

メディアの花嫁 - 次の地平

The Medium is the Massage というマーシャル・マクルーハンが1967年に書いた本が私の書庫にある。竹村健一の「マクルーハンの世界」は中学時代に読んだ。「服は肌の延長、車は足の延長、本は目の延長、、」。つまり、「人間拡張の理論」がここにある。最後に「中枢の延長は?」となるわけだが、ここでは「電気回路」となっている。初の汎用機である「IBMシステム360」が世に出たのが、1964年だが、彼もまだ情報通信技術がここまで進むとは想像できなかったかも知れない。しかし、明確に来るべき時代のIssueは捉えていた。マクルーハンはEdmonton というカナダの小都市で1911年に生まれ、私の生まれた1951年に「The Mechanical Bride(機械の花嫁)」を発表した。「産業社会のフォークロア」という副題が付いている。今週は大学で「デジタルメディア&コンテンツ」のシンポジウムに出席し、アメリカ、アジアをリアルタイムに結んでの議論を聞いている。今朝、スタンフォードのサフォー氏が話していたのは、今や「インフォメーション革命は終わり、メディア革命の時代に入った」、同じく「マスコミュニケーションの時代が終焉し、パーソナルコミュニケーションの時代に入った」とも言った。そこでは、マクルーハンの洞察は、そのまま新鮮だ。

2007年12月10日月曜日

考えるワタシ - それでも地球は、、、

これを書き出したのが、04年の10月だから、4回目の12月という事になる。そこで各年の12月を振り返ってみたのだが、ま、考えている事はダイタイ同じのようだ。世の中で起こっている事象はコクコク変化しているのだが、それを捉え、考えているのは、このワタシだから、急に大きくは変われない。世の中の動きも、「ツリー点灯」のように、恒例の物もあり、そういう事象を、その時の環境と絡み合って、ワタシが感じているのだ。ハイデガーは、「存在と時間」の中で、「本来のあり方とは、既に存在する(過去)を引き受け、自分の(使命)を自己に与え、将来へ自分を(登企:投げ出す)する」というような事を言っている。キュルケゴールが、「人間は関係の関係の関係だ」と言ったのを、時おり思い出して考える。過去、環境、時間、場所などの関係を考えながら、こういうメモを残しておくのも、「自分」を考える上では面白い。その意味で、ヒトの思考世界は、高度技術の進化により、大きなターンテーブルを回ったという事は、今はっきりと判る。ところで、土曜見舞いの両親は堅調。日曜ゴルフは復調ながら入賞逃す。ボルボは修理が終了。次男は携帯を買換え。長男は明日UAEから帰国だ。

2007年12月7日金曜日

Party Kids - Just a happy drinker

20年のNY滞在で、景気変動も多かった。年末になると、企業はそれなりに忘年会をするのだが、それをHoliday Partyと言ったり、Company Partyと言ったりした。しかし、現金なもので、景気のよい年は派手だが、悪い年は地味だった。90年代初頭の最悪期は、リストラの嵐だったから、開催すら無かったし、企業トップはプラーベートの外食も控えた。辞めた社員に襲われる事件が多発したからだ。そういう自分も、何度かパーティーを主催したので、あのUP/DOWNが、懐かしい。今や帰国し、パーティーにも「御呼ばれ」する立場となり、なんと嬉しいなものだ。当たり前だが、スピーチの心配も無く、作り笑顔も不要、お酒もとめどなく飲めるし、だらけ放題だ。NYの事に戻るが、ある年、幹部が「酒を出すかどうか」を聞いてきた。「ばか、あたりまえだろう」。しかし、こうだ、その年は色々と事件があった年で、酒を出して、帰りに社員がトラブルになると、「酒を出した会社の責任になる」と言うような事なのだ。結局、車通勤者には、タクシー代を出す事にして、納めたという記憶がある。今や、こういう心配は、される側になり、なんとも気軽な身分だ。

2007年12月6日木曜日

たかが携帯 - されど携帯

携帯を買い換えた。2年前にワンセグにつられて買い変えたが、テレビは2-3度しか見なかった。無駄だった。それだけではなく、音楽サービスなど、まったく使わないから、最近の携帯はPCのソフトのように、とにかくオーバースペックだ。人の脳だって、99.9%は冗長だから、もっとそうかもしれないが、携帯やPCは値段が値段だから、考えものだ。くだらないが、だから人の命に値段が付けられないと言うのか。どうでもよいが、携帯。今回は、明確な目的意識を持って、カシオのエクシリムにした。このブログ用に写真が欲しいわけで、デジカメも古くなり、それを買い換えるかどうか考えていた。結果、ブログ用が主であれば、高機能は不要なわけで、フラッシュを除けば、このカシオは5.1メガで、手振れ補正も付いている。この携帯いっちょで、電話、メール、カメラがすべて満足だ。こうしてみると、携帯も、用途で選別できる時代になってきたのか。ところでEモバイル端末は、デスクにのったまま、時々たまったメールを消す時だけアクセスしている。使い道が無い。

2007年12月5日水曜日

3度のメシ - ウラミシュラン

NYに住んでいた昨年までと生活がかなり変わったのだが、その中でも「食事」は大きく変わった気がする。まず朝だが、スタバのチョコレートドーナッツが好きだったし、デリでオープンサンドイッチをよく買った。「Ham and Egg on roll with Salt and Pepper, cut in half」と言うと、1-2ドルで暖かいロールが、紙に包んで手に入る。ハムもたっぷりで、大きいから、半分取っておいてランチに回す事もあった。その、ランチだが。朝がパンだから、どうしてもアジア系を選びがちだった。それが、帰国した今はどうか。朝は、家でご飯、味噌汁、納豆と純和風となり、ランチはランチでとにかく多くの選択肢の中から毎日選ぶのに苦労する。ちなみに、今日はうどん、昨日は和食、その前はパスタだった。蕎麦や鰻など、アメリカでは美味しいものは食べられない物は、NY時代は、日本に帰ると優先的に食べたのだが、今は別に何時でも食べられるから、渇望感は無い。夕食は、NYでは一人でビストロ・ジュリアンなどにもよく行ったが、今はそういう丁度いい店が見つからない。無いわけではないだろうが、おじさん一人でビストロで、ムール貝でワイン、といったシーンが東京ではイメージできない。一抹、さみしい。

2007年12月4日火曜日

煙縮競争? - 終わりの始まり

特にここで書くような話でもないが、最近身の回りでとみにエコの話題が多くなった気がする。やはり、ゴアの映画は後世から見れば、一つの大きな節目だったといわれるかも知れない。それなんだが、アメリカは無駄遣いが激しくて、もちろん京都議定書も無視して、ボカスカと環境破壊をしている悪い国なのだ。20年前にNYで仕事を始めた時に、深夜、早朝に高層ビルで電気がついているのを見て、「なんと働き者の多い街」と打電したが、後から聞いたら、電気を消さないで帰っているのだった。電気ガス水道は、レントにコミコミの場合があるので、使用量は気にしない。そこでだ、今朝のパリ会議のニュースの、「CO2削減交渉。先進国は、、、」という記事をチラ見して、思い出したのが、20世紀の「軍縮会議」だ。あの頃もこうして、国同士で、増減をやりあったのだろう。とすると、軍事力もCO2も文明化の産物であり、他国への迷惑という点では同じなんだ。上海郊外の、どでかい工場群から立ち上る煙りをみて、「ああ、この煙が、地球の自転で日本へ来るんだな」と実感もした。関係ないが、今お気に入りは、「しろくま君」というアイスクリームだ。

2007年12月3日月曜日

文明と文化 - 電気の場合

六本木ヒルズができてから、2年は足を踏み入れなたっかが、今は時々行く。ミッドタウンは今年できたばかりだが、昨晩早くも始めて食事に出かけた。ちょうどイルミネーションもやっていて、案の定多くの人でごった返していた。ツリー点灯といえば、毎年のロックフェラーセンターだが、それも今年からは見られないということで、どんどんとNYの生活観からとうざかって行くのは、やはり寂しいものがある。NYの飾りは、今年からLEDになったそうで、多少は環境、省エネに配慮を言っているが、まあ、ツリーを飾る事自体が、環境破壊そのものだろう。毎年、25日が終った後の街角には、ツリーの残骸が捨てられていて、「あーあ」と思っていた。日本では、そんな大きな生木を元々飾らないから、あんな無駄している事は、しらないかも知れない。話が飛ぶが、電気使用は、文明発展の指標のようになってしまい。先日の上海だって、昔は暗かったのが、今はギラギラだ。これもかなり前だが、インドに出張した時、宿泊したホテルはよく停電していた。今はどうだろうか。

2007年11月30日金曜日

やっぱ、教育かなー? - 民度

人間観察を趣味にしているわけではないが、どうしても街行くヒトを見て考える事が多い。自分の行動範囲も限られているし、偏っているのは承知だが、どうも最近の日本人(?)はアロガントに見える。勉強はそれなりにしているのだとは思うが、どうも孤立的で利己的な感じだ。若い女性を槍玉に上げるつもりは無いが、ファッション雑誌さながらの風体、化粧で、「何するヒト?」といつも思うし、道が狭いせいもあるのか、突然止まったり、ふさいだりして、戸惑う事もある。電車の乗り降りなども、昔と比べれば乱暴になってはいまいか。日本は極東の島国で、世界から見れば特殊環境だから、どうしても思考、欲望がウチへ向かうのは長年受け継いだDNAなんだが、グローバルとの接触や関係、比較をせざるを得ない今日では、「こりゃ、だいじょぶか?」と思うのは、私だけではないだろう。そりゃ、どこの国にも「バカ」はいるのだが、バカをバカとして捉える普通人が主流だろう。教養とは、知識であり、人間力である。人間力とは、自他それぞれを知り、その関係を考える事である。歴史に学び、人に学ぶ。何処の国でも、そういう普通の人が社会を支えると思う。逆に言えば、それが、近代社会の構図だろう。

2007年11月29日木曜日

抹消の奴隷 - ら、ら、ら、、、

次男が転職し、今週から無事?に仕事を始めた。長男は、なにやら国際コンペ準備で、毎日明け方まで仕事。という事で、イリノイの3男が冬休み帰国するまで、我が家は小康状態に入ったようだ。夏から秋までベランダで世話をしていた朝顔も、もう片付けて種を収穫、今はプランターに数種類の野菜を植えている。今朝は冷え込むというので、心配したが、問題はなかった。と、書くとどうもジジむさい。さて、春から空いていた寺の隣地になにやら建設が始まり、早朝からトンテンカンと音がする。それが無くても、6時には読経が始まり、ポクポク音で目が覚める。そこでだ。「目覚め」というのは、身体が先で、意識が後という事だ。ポクポクにしろ、トンテンカンにしろ、聴覚系が、まず捉えて身体を起こす。意識は、やわら後からついて来る。そこでの不思議は、昨晩の「自分」が、同一の自分として戻ってくることだ。同一地点で生活していれば、そんな事はあまり意識しないだろうが、20年間、ほぼ毎週移動していた、この「自分」は、大げさに言えば、毎朝「ここは何処?、私は誰?」なんて考えていたので、こんな変なココロを持つにいたったのかも知れない。そういえば、「私は誰?」となる様な、酒の過ごし方もめっきりしなくなったな。

2007年11月28日水曜日

テニスの効用 - 体とココロ

週一だが、テニスのレッスンを受け初めて半年がたった。始めの数回は、肘や腕が痛くて、サポータやら、鎮痛シップやらと対応したが、今はもうバリバリOKだ。やはり、コーチに言われた通りに、インナーマッスルを鍛えた効果がでたかもしれない。それよりだ。週一回なんだが、全身の筋肉を激しく使うから、ランニングや、ましてやゴルフなどと比べて、身体が軽くなり、もしかすると腹回りも楽になった。NYに居た時は、地下鉄やバスが便利だったので、あまり歩く事はなかったが、東京では通勤や、仕事で結構歩くようになった事にも原因があるかもしれないが。テニスはゴルフと違って、スコアなどの目標指向ではないので、練習のみの中に、楽しみを見出さねばならない。もちろん、友人とゲームをしたりする時には、練習の成果も出るだろうが、なにせ相手がいるスポーツだから、ゴルフとは違う。思考回路的に考えると、テニスは、練習では、相手と「うまくつなげる」事を気にするが、ゲームでは相手にを「うまく破る」事を目指す、ややこしいスポーツだ。その切り替えがうまくないと、練習で相手を困らせて、友人を無くすし、ゲームで相手を利して、自分がいやな思いをする。ゴルフはプレイに相手が居てもいいが、これは明確に「自分のメンタル」との戦いだ。どうでもいいか、そんな事は。(写真は蘇州の虎丘の斜塔と紅葉)

2007年11月27日火曜日

「食」の進化? - ホンモノはなんだ

上海の話は、今日で終わりにするが、上海2日目は蘇州へ行った。高速で一直線だが、街の出入りが渋滞するので、片道2時間というところだ。蘇州自体は、寺とか、庭とかの世界遺産があるのだが、見てみれば、日本のそれらとあまり変わらない。そりゃそうだ。日本のそれらが、大陸が起源だから同じなのは当然だ。それはそうと、上海蟹は江蘇省と安徽省の境に位置する水郷地帯で取れるそうで、その近くをバスで通った。ちょうど今が季節で、それを堪能した。しかし、最近は偽者もあるそうで、「本物」にはブランドを示すタグが付いている。日本でも、関鯵なんかにもタグをつけているから、それを模したのか。以前にも食べた事があるが、今回は比べものにならないほど、美味かった。季節だからなんだが、子もいっぱいあって、身も美味い。昔食べたのははもっとチープで、「上海かには食べる所は少なくて、足をしゃぶる位だ」なんて言われたように記憶していたが、こりゃ騙されたか。しかし、日本でも昔は、「子持ちこぶ」とか、薄かったものが、今や子がびっしりで、人工なんだが、養殖なんだかわからないが、「食」という事も、「ホント」が何かなんてわからなくなっているのかも知れない。

2007年11月26日月曜日

そんなの関係ねー? - ホンネとタテマエ

歳をとると、運動後の筋肉疲労が、1-2日遅れてくる。理由は知らない。脳もそうだろうか。大きな体験は、昔なら直ぐに咀嚼、感想につなげたが、最近は、頭の中でこなすのに時間がかかる。今回の上海も、見聞きした事を、理解と知識につなげるには少々時が必要だ。シナプス老化だろう。さて、それはそれとして、上海で松原氏と車中で色々と話した中に、「社会主義資本経済の今後」があった。つまり、目の前のギラギラ経済発展と、共産党一党支配との関係をどう考えるかだ。経済は、構成する人の欲望の内外爆発で拡大し、そこでの格差の不満を暴発にまで行かない程度に制御する事だ。それができれば、その上部構造の政治やイデオロギーは「関係ない」という事か。上に立つものが、腐敗・搾取していると思われない内部統制を見せれられればそれでよいのかも知れない。日本だって、資本主義といいながら、現実はマルクスが目指した「社会主義」になっている。ようは、上部構造がタテマエで、下部構造がホンネということだろう。更に言えば、それを横に比較する事はあまり大事ではなく、その2者のバランスがうまく取れているかの度合いの比較が大事だ。

2007年11月25日日曜日

10年ぶり - ギラギラ上海、恐るべし

2泊3日で上海に行ってきた。多分10年ぶりだ。当時、空港は虹橋にあり、高速道路、地下鉄の建設が始まっていた。それがどうだ、リニアが走り、超高層ビルが立ち並び、高速道路が縦横に通る。ちょっとした道の奥を見れば、まだ昔の町並みも少し残るが、まるで違った街になってしまったようだ。あの頃に外資といえば、日本企業で、たとえば伊勢丹デパートなどががんばっていた。それは今もあったが、こう言ったら失礼だが、ターゲット客層は、多分中流以下になっているようだ。つまり、上層、超上層の勝ち組が出現し、それを相手のブランド街、レストラン、ホテルが新築されている。今回宿泊したのは、一番最近オープンの、ル・メリディアン。新築でも、どこかずれていたり、中国モードだったあの雰囲気は、もうどこにもない。「ここは六本木のミッドタウン」と言っても、まずわからない。上海タワー脇のグランドハイアットの入る、金茂タワーの88階に上ったが、景色は「すごい!」の一言。さらに、その隣には101階建ての森タワーが建設中だった。上海蟹、紹興酒も堪能したが、「上海」、そして「中国」、そのものの、エネルギーと発展を目の当たりにした。帰国後、成田からバスで都心へ向かったが、なんだか景色が「寂しかった」。でも、ギラギラから離れて、ちょっと「ほっと」した。

2007年11月21日水曜日

パニック症候群 - ココロか体か?

3日連続で「ルネサンス」からだ。今日はちょいと曇っているが、天が高い秋晴れ。窓から見える高層ビルで、ゴンドラを吊って窓拭きをしている。昔マンハッタンで50階フロアにオフィスがあった時も、近くの高層ビルの窓拭きを見ていたが、高所恐怖症の私は、見ているだけで、足がすくんだ。あの人達は、インディアン、いや「ネイティブアメリカン」が多いそうで、彼らは高所がまったく怖くないそうだ。そういえば、1920年代のNYの写真で、天空の建設現場で、鉄の骨組みに並んで座って、ランチを食べているのがある。これはDNAのなせる業だろうか。高所恐怖、閉所恐怖などのパニックは、ま、脳の働きなんだが、とにかく自分で自分を追い込んでいるわけだ。ビックリハウスしかり、ヴァーチャルリアリティーしかりだ。恥を更に書けば、私は運転で、高い橋を通る時なども、端でなく中央を走る。怖いのだ。ハドソン川を渡る橋は、下を船が通るから総じて高い。東京では、レインボーブリッジも怖いし、アクアラインもちょっと怖い。もっと言えば、映画のキングコングが、エンパイアを昇るシーンや、スパイダーマンの屋上シーンなどは、見るだけでぞくぞくする。私の「脳」はかくも、単純で騙されやすい。と言うより、視覚系からの反応神経への伝達を制御できないというべきか。ちなみに飛行機は怖くない。あたりまえか。

2007年11月20日火曜日

セカンドライフ - ちょっと、怖い

「第2の人生」ではない。この名前だけは、昨年くらいから聞いていて、ああそんなのもできるだろうな、などと思っていた。ところが、これも土曜日の「ルネッサンス」で聞いたのだが、世界で100万人位が登録しているらしい。ようは、昔、エージェントと言っていた、自分の分身をネットの向こう側に作って、向こうの世界で遊ばせる?ものだ。ここでは、アバターと言う。自分勝手に作れるのだから、性別も格好も、何でもありだ。それが、世界中のアバターと交流できるから、まさに第2の仮想世界という事だ。ここでは、リンデンドルという通貨もあり、毎日変わる為替レートでドルに交換できる。実際に土地(アイランドという)を売りだしてビジネスしている奴もいる。現実の世界だって、NYだ、パリだという話をする時、行った事がなければ、それが現実かどうかは判らない。だから、仮想か現実かは、実はどうでもよいのだ。身体が動かないで、知覚は技術で世界に到達するから、思考だけが世界を掴むわけだ。ポール・ビリリオをこれを、「極の不動」と言い、究極、ヒトは身障者状態になると言っている。映画MATRIXを思い出せば、イメージができる。ところで、自分はもう「サードライフ」も越えてしまったな。現実世界?でだが。

2007年11月19日月曜日

意識は後から - 人間なんて、、、

「『情動』-欲望・操作・自由-」 というタイトルの、「ルネッサンスジェネレーション2007」を土曜日は聴講した。昨年は、「人はなぜ人を殺してはいけないか」という、ここ数年の哲学的テーマだったが、これは1年前のブログに書いた。カリフォルニア大の下条先生の話は、別の機会でも聞いているので、「意識は後付け」という言葉で、内容は理解している。つまり、二元論そのものなのだが、人は動物であり、ココロを持つヒトであり、そこでは動物的なものが99.9%支配しているということだったと思う。感覚器官→判断・指令器官(脳機能)から、思考系と、身体系に二ルートの神経が出ていて、身体系の方がすばやく反応する。まさに「無意識」の世界だ。意識は、後からのこのことついてくる。だから、論理的などというのは、意識の誤解かも知れないし、もっと言えば現在社会、ネット社会での、不可解な事件と思われる物は、実は「情動」の無意識のなせる業かもしれない。なんて話を、多側面から講義、議論してくれた。80%がリピータのこの会は、人口からすれば少ないのだが、同興味保持者という点では、結構いる物だと妙な驚きを持った。ゴルフも、意識ブロックをはずして、動物的に打てれば、もっとスコアはよくなると思うのだが。言い訳か。

2007年11月17日土曜日

動機が不純? - 生活も変化

今年は、水滸伝、三国志と北方謙三で、中国ものをかなり読んだので、気分?変えに、ちょいと塩野七生のローマ物へ戻った。積んである中から「終わりの始まり」文庫3巻をバッグに入れたが、カエサルのあたりを読むのとは、スピードははるかに遅い。それでも、中巻以降は、5賢帝時代の終期で、北方ゲルマンとの戦いが始まり、緊迫しだした。こう書くと、どうも読書態度が不純に聞こえるが、正直、戦いのものを読むのは、面白い。ジョン・グリシャムなどの裁判ものや、パトリシア・コンウエルのFBI物、トム・クランシーの大事件ものなどもそうで、英語のペーパーバックを毎日のように読んだ。古い話だが、中学時代は、SF物で、「火星の何とか、、」なんてのを随分と読んだ。NYで一人暮らしをしていた頃の週末は、朝一番で運動、日中はセントラルパークで読書、夕方から映画を見て、とルーティンが出来ていた。東京に来てからは、週末はゴルフやら用事があって、読書は通勤、旅行の車内だけだ。映画は、NYのように、近くで直ぐに見たい物が見れない事もあり、あまり行かなくなった。

2007年11月15日木曜日

世界の大きさ? - そうだよな

最近思うのだが、マンハッタンに住んでいた時は、世界がもっと直線的で、広く見えていたような気がする。今は東京で、ずーーーと生活しているわけだが、歩いていても、乗り物に乗っても、はたまた寝ても、起きても、なんだか「世界が小さい」感じだ。NYは、NYで、そこは色々と気に障る所はあったのだが、今は東京に居て、気に障るシーンが多い。くだらない事なんだが、バスに乗っていて、停留所とか、交差点でタクシーを乗り降りする奴らに出くわす。運転手も運転手だが、客も客だ。一人のためにバスが立ち往生する。マンハッタンでも、思い出せば、2重3重に駐車して道をふさいでいる事もあったが、あれは、ストリートサイドで、バスは走っていないのだが、どうだろうか。しかし、タクシーを堂々と道の真ん中で止めている、婆さんも見かけたのを思い出したから、どっちもどっちか。いかん、いかん。こうして、何でもNYと比べる癖をそろそろ卒業しなくては。反省。でも、ワインの量も、フライドポテトも、やはり量は少ない。

2007年11月14日水曜日

主観と客観 - 東京バー?

古いタイトルをつけた。主客論は哲学の古典的テーマだが、ヒトが「活」きる大切なポイントだ。先日、福助を立て直した、カリスマバイヤー藤巻幸夫氏の話を聞けた。お兄様は、私の先輩でもある、著名な投資家だ。幸夫氏は、「ブランド」、「マーチャンダイジング(MD)」などについて1時間話されたが、早口なので、その倍の中身はあった。大変エネルギッシュで、「現場主義」「行動主義」「分析理論主義」的な人物という印象を受けた。ご自分曰く、「勉強好きだった兄とは反対に、、、」という、反骨主義も、それらを支える下部構造になったのかもしれない。とにかく、思いつくまま現場へ足を運び、自分の目で見て、耳で聞いて、頭で分析し、整理するという。正に、「主観」で動いて見て、「客観的」に分析する。当たり前だが、王道である。「とにかく人に会って話を聞く」「時間があれば本屋で情報を漁る」、彼のこういう行動は、機会との出会いのベンチマークに他ならない。ブランドへの感性という「素養」は構造として元々あり、それを受け止め、具体化する機能を自分で発見したということか。MDに加えて、VMD(ビジュアルMD)が大事だという話の中で、「最近NYで流行っている『東京バー』」というのが出てきたが、残念ながら私は知らない。写真が多分それ。

2007年11月13日火曜日

キャリアデザイン - Project Management

他人のキャリアの事ばかりやってきたが、自分の息子達の相談にはあまりのってやらなかった。それでも、長男は建築デザイナーとなり、3男は今年から5年間、イリノイ大学のドクターコースにいる。そこで、次男だが、1年強勤めたアニメ製作会社を辞めてどうなる事かと心配したが、「晴れて」、ビジネスコンサル会社への転職が決まった。Eコマース系をやっているそうだが、どこまでがんばれるだろうか。アニメ会社では、TV番組製作に4本ほど参加したようだが、これはこれで、プロジェクトのPDCAを回す仕事のようだったから、勉強にはなったはずだ。世の中、最近の仕事は、分業化、専門化が進んでいるから、「仕事」「プロジェクト」の全体をつかんで、最初から最後までやるという事が少ない。だから、中高年でも、プロジェクトMGRをできる人材が少ないようだ。という事で、わずか1年の経験だが、脇で見ていた限りだが、4年分くらいの経験をしているかも知れない。それを活かせれば、面白いと思っているが、本人次第だ。入社式と言えば、以前勤めた会社での、武道館の桜を思い出すが、今は秋だから、写真は菊だ。

2007年11月12日月曜日

13巻読了 - 北方三国志

週末から為替や株価が急変していて、やはり4年周期の中変動?だろうか。地政学的にも各地が不安定になってきているのも、グローバルな変化の波だろう。さて、「北方三国志」を読み終えた。水滸伝が19巻だったから、たいした事はないが、それでも13巻は読みでがあった。既に書いたが、吉川などの「三国志」とは立て付けが異なる。劉備、関羽、張飛、孔明など、それぞれの英傑の生、志、死をめっこりと描いている。最後は孔明の死で終るところは、これ以上は書く必要がない、という事だろう。確かに「事を図るは人、事をなすは天」との孔明の言葉通りの余韻を残した。戦略を大局的に考える時、大きければ大きいだけ、「世界が回る」ぎりぎりに近づく、そしてそれは、人智を超え、天運に委ねられるということか。そういえば、マックス・ウエーバーも、「ターンテーブルが回る」という表現で、同じような事を言っていた。さて、写真の「回る」矢印は、長男と藤井君の「代官山インスタレーション」作品(展示:11/11-11/25)。2年前に、この企画でグランプリ受賞した、このコンビは、今回は招待出展。代官山駅近くのスペースに並ぶ16個の矢印は、風で動く。