昨日から日本は、冬の嵐。で、思い出したが、数年前に、掲題のような映画があった。これは、実話ベースの小説の映画版だった。いくつかの低気圧が合体した巨大嵐に船が巻き込まれる話。映画版はCGを駆使し、海全体が画面いっぱいに荒れ狂うやつで、確かこの波表現に特殊技術が使用されたとかなんとかだった。それはそれとして、自分も真冬の北太平洋を貨物船で横断した。豪華客船などは、穏やかなハワイ航路などだが、丸い地球のせいで、距離が長い。貨物船は、航路短縮で、荒れるアリューシャン航路を取るわけだ。だから、安かったが大変だった。横浜出航と同時に揺れだして、北海道を過ぎたあたりから、揺れる、揺れる。波を直角に突き進むと、縦ゆれで、これをピッチングと言う。この逆が、横揺れのローリングだ。最短路を取ればピッチングにもなるが、キャプテンの温情で、比較的楽なローリングを多くしてくれた。それでも、大きく揺れると、ベッドから投げ出されるので、椅子の背をロープでくくりつけて寝た。2週間。寝たきりで、食事は殆どできなかった。懐かしい。40年前の思い出だ。
2008年1月25日金曜日
Perfect Storm - 嵐の海
昨日から日本は、冬の嵐。で、思い出したが、数年前に、掲題のような映画があった。これは、実話ベースの小説の映画版だった。いくつかの低気圧が合体した巨大嵐に船が巻き込まれる話。映画版はCGを駆使し、海全体が画面いっぱいに荒れ狂うやつで、確かこの波表現に特殊技術が使用されたとかなんとかだった。それはそれとして、自分も真冬の北太平洋を貨物船で横断した。豪華客船などは、穏やかなハワイ航路などだが、丸い地球のせいで、距離が長い。貨物船は、航路短縮で、荒れるアリューシャン航路を取るわけだ。だから、安かったが大変だった。横浜出航と同時に揺れだして、北海道を過ぎたあたりから、揺れる、揺れる。波を直角に突き進むと、縦ゆれで、これをピッチングと言う。この逆が、横揺れのローリングだ。最短路を取ればピッチングにもなるが、キャプテンの温情で、比較的楽なローリングを多くしてくれた。それでも、大きく揺れると、ベッドから投げ出されるので、椅子の背をロープでくくりつけて寝た。2週間。寝たきりで、食事は殆どできなかった。懐かしい。40年前の思い出だ。
2008年1月24日木曜日
Important Note - 「土蜘蛛」から「安宅」へ
NYのジャパンソサイティーで、梅若六郎の「土蜘蛛」を見たのは、もう3年前。思い出せば、その2年前、セントラルパークの薪能で、「船弁慶」を見た。あれは雨で大変だった。さて、昨晩。大曽根さんにもらった切符で、NHK能鑑賞会、やはり六郎の「安宅」を見た。「これが」特に面白い演目なのか、自分の知識が、「能」に追いついてきたのかは判らないが、実に面白かった。NYの時は、舞台脇に、液晶ディスプレイが設置され、メトのオペラのように、解説の字幕が英語ででた。歌舞伎座にはイアフォンでの解説システムがあり、わかりやすいが、能はなかったので、ありがたかった。さて、今回。大曾根さんが、「観世」の台本を貸してくれた。これを見ながら見聞きしたので、「非常」によくわかった。おー、「のー」とは、こうして見るのか。開眼だった。ディスプレイでも、台本でも、解説は「肝心帳」。安宅の見せ場は「勧進帳」。ちょっと、無理があるか。
2008年1月23日水曜日
「雪じゃん!」 - DNA?
2008年1月22日火曜日
マイナリティーの視界 - 異質許容
私の記憶が確かならば、「Diversity」という事が、日本で言われだしてから10年位経つ。それも、一般社会ではなく、経団連とか、同友会とかの企業の勉強会や、指針の中での話しだ。文脈などは知らない。しかし、「同質性」の中で暮らす日本人、日本企業に、「多様性」の受容の必要性を説いたと理解している。今朝のCNNのトップページで、ヒラリー&オバマの並ぶ姿を見て、「それ」を思い出した。アフリカ系と女性系(?)。「多様性」の象徴みたいな顔ぶれだ。しかしだ。「Diversity」という言葉は、「アメリカは、どういう国か」という文脈や、「差別(Discrimination)の排除」の施策で、使われていたとも記憶している。「多文化の許容」なんてのは、60年代の市民運動あたりからだが、元々アメリカは「多様な国」で、「その共存」を進めてきたと思う。一方、日本は「同質だから、(アメリカのように)多様性を図れ」と言うのだが、どうだろうか。私とすれば、この「同質だと思っているという思い込みからの脱却への努力」なんてのが、必要なんではないかと思っている。どうでもいいか。
2008年1月21日月曜日
エスキモーゴルフ - 「イヌイット」と書くべきか
2008年1月18日金曜日
バイオリズム? - 身、心、知
こんな風邪?は多分初めてだ。喉も、鼻もおかしくはないが、日中時々熱が出る。ということで、普通に活動しているが、御酒などは控えて、睡眠も十分とっている。いいわけ臭いが、今週予定していた、NYとの早朝電話会議などはパスさせてもらった。というのは、NYと東京は昼と夜とが「真反対」だからだ。今回、「え、今NYは何時だっけ?」なんて考えた自分を発見し、ある意味驚いた。20年間、2週間毎に往復していたので、どちらに居ても、どちらの時間も把握できていたし、どちらの人達ともリアルタイムで連絡できる状態だった。しかし、東京での定住に慣れてしまうと、確実に「こちら時間」での「心身」になってしまう。いいわけくさいし、軟弱とも言える。しかし、現実だ。NYに住んだ頃は、朝はTVで、NYのニュースを見るし、街に出れば、同じ事情を共有してる(だろう)人が歩いている。自脳も無意識に、そう思っていた。しかし、今はCNNやネットなどで、「意識して」、自分を「その世界」におかなければ、「その視界」を獲得できない。「客観的」に向こうを見るという観点も大事だと考えないわけではないが、どうも違う。思うのだが、「異質共存世界」であるNYから日本を見る視界と、「その逆」の違いではないだろうか。
2008年1月17日木曜日
Empathy - 気になるなぁ
ある「単語」が心に響く事がある。思い出せば色々とあるだろうが、今とっさに出てきたのは、大学時代に指導教授から聞いた、「データベース」とか「エントロピー」などだ。「データベース」なんて聞いた事もない時代で、「なんだ、軍用語か?」なんて思ったのを強烈に覚えているが、今や普通語になった。この、直感は間違っていなかった。「エントロピー」は、普及はしなかったが、自分の中では、思考の原理として今でも大事にしている。簡単に言えば、「情報は拡散し、元に戻らない」。そして、これが、「宇宙の原理=熱拡散の不可逆性」ということだ。それはそうと、昨年末から、自脳に張り付いているのが、「エンパシー」。まだ、日本語ウィキにも出ていないが、これからの(自分の)ポイントになりそうな予感だ。英語ウィキから引用すれば、「相手の情動を理解しようとする意思」みたいな事が書いてある。「他人の靴の中に自己を入れる」なんて説明もあるが、これは、わからん。以前にも書いたが、シンパシーは、「肉親などに抱く同情心」、エンパシーは「他人も含めた他者のココロを理解する努力」とでも言うのか。となると、情動とか、ココロの定義、解明が先なんだが、とりあえず、先へ進もう。
2008年1月16日水曜日
「できる事」と「する事」 - ストレスは
「であること」と「すること」と書いたのは、丸山真男。昨晩は、熱もあったので、早々に帰宅して、丸山真男の年表などを見ていた。安田講堂事件の時に、重要書庫を内部封鎖・逆篭城して、学生の破壊から守ったという話は知っていたが、吊るし上げなどもあり、直後に身体を壊している。回復後は大学を辞めて、米国大学等と仕事をしている。福澤研究でも有名で、「一生にして、二世を生きる」という話は、ここでも何回か書いた。さて、今朝聞いた話。ある事例研究だが、従来「職場での人間関係」などが大きな原因と考えられていた「メンタル不調の原因」で、一番顕著だったのは、「本人の能力不足、仕事の効率低下」だったそうだ。詳細は、続報を待ちたいが、「自己・他者・関係」という図式の中で、「関係」だと思われていたのが(もちろんそれもある)、「自己」の問題で、ストレスが多いということなのか。「仕事」とは、「やりたい事」、「やらねばならぬ事」、「やれる事」の重なりにあるとも言われる。「自分のできる事を、精一杯する事」と考えていれば、ストレスはたまらないと思うのだが、どうか。更に書けば、ストレスはあるもので、「どう発散するか」を問うべきとも言えるか。
2008年1月15日火曜日
熱 - く、くすり、、、
昨日の寒さでやられたのか、熱がでた。朝いちでドクターへ行ったが、喉も腫れていないようで、何もしてくれない。ま、風邪は病気のうちに入らないということか。とりあえず、風邪薬をもらうのだが、これもいつものPLだけだ。熱が時々でるので、NYにいた時はタイレノールのボトルをいつも近くにおいていたが、それも今は無い。しかし、ヒトのからだはホントによくできている。毒が入れば、どこかのリンパで、防御するらしいし、熱を出してやっつけてくれる。だから、熱は下げない方がよいと、いう人もいるが、どうだろうか。とんでもない高熱は出した事はないが、そんな熱はさすがに身体によくないと思うが、どうだ。それとも、「悪い」毒とか状態が問題で、それが「よくない」事なのか。こんな事を書くほど、熱でボケている。それとも、ボケているから熱なのか。
2008年1月12日土曜日
雨の西麻布 - グダグダ
昨晩は、カウンセラーの新年会。当たり前だが、カウンセラーだって「ヒト」だ。たまには、ガスを抜く事も大事だし、スーパービジョンの先生も、ご苦労様だ。さて、ある先生。「今年から、新入りの職場は大変だよ」。「?」と私。「『ゆとり第一世代』の就職が始まるんだよ」と答。一夜明け、調べてみた。、平成元年の学習指導要綱改正の施行が、1992年。その時の小学1年生が、今年就職年齢だ。曰く、「ゆとり」で育ったこの世代は、社会の「荒波」に耐えうる訓練や指導を受けていない。そうだな。10年くらい前に聞いた話だが、小学校の運動会で、横に手をつないでゴールするという。なんじゃそれはと、驚いた。こういう、おかしな価値観の中で育った子等だ。関係ないが、最近の新入社員には、「挨拶」もろくにできないのが多いらしい。わが子等を「高い」棚に上げて書くのだが、こりゃ受け入れる企業だって大変だろう。現場の上司も可愛そうだ。考えただけで、頭が下がる。若年社員の転職が多い。これもそれか。うーん。送り出す大学側で、なんらかの「人間教育」をするべきなんだろうが、そんな事は期待できそうもない。眠いが、ちょっと考えてみよう。
2008年1月11日金曜日
論理と感性 - トップの情景
リーダー論などを読んだ事はない。しかし突如、今までに垣間見た「トップとの情景」が脳裏(「裏」とはどこか?ーどうでもいいが)に浮かんだ。日本人、非日本人。もちろん限られた範囲は承知のステレオタイプ込み。欧米は、大は「Noble」、小は「Spilits」という感じ。日本はどうだ。大は「Arrogant」、小は「Ressentiment」と書くと、あまりに無茶か。それはそれとして、「この人は」と思った何人かの日本人トップは、同じような事を言っていた。それは、「普遍性」と言う事だだ。「どんな事を価値においているか?」という、私の愚問に対し、「普遍的な経営とか態度」とかをあげられた。もちろん、知性、感性は前提だが、「グローバルな時間と存在の視界」で物事を考える人は、「普遍性」に行き着くのだな、と感じたものだ。極論だが、自分の「感性」が「(正当な)普遍性」になってしまうような、カリスマが、至極のリーダーなのかもしれない。カエサルみたいに。ところで、3男は、今日イリノイにカエリサル。
2008年1月10日木曜日
Lost in Transition - 力への意思
世界観。NY居住をやめて1年以上がたち、ライフスタイルはかなり変わった。思考はというと、やはり「視界」は変わってきたといわざるを得ない。読む本もそうか。自然と「日本」もの手が動く。昨日も日本通史を買い、飛鳥から鎌倉あたりまでなぞった。こうしてみると、日本はかなりの事物が、連続して残っている。歴史は勝者のもので、他世界では、ジェノサイドとか、焚書とか、偽装も多そうだ。それはそうと、とにかく「歴史」は著者の耳目・思想・世界観をとおして記されている事が多い。新聞記者などは、ストレートに事実を書く事が要求されると思うが、それでも「現象」を了解するのは、記者の脳だ。だから、自分サイドに、知識と教養、そして世界観が必要なのだ。「世界」はどういう場か。1.自分で認識・了解できる場。2.伝聞で了解できる場。3.物語として存在している場。ま、ダイタイこの3種類だ。日本に戻り、一番変わって来たのは、この「世界観態度」かもしれない。常に「移動(Move)し」、常に「外(Benchmark)から」、日本人として、「世界」を考えていた態度が、日々薄れてゆくのが、実感としてわかる。いかん。「何か」を取り戻さねばならん。
2008年1月9日水曜日
Mobility - 西洋思想の原点
子供時代。自転車を買ってもらって、行動範囲が飛躍的に拡大した事を覚えている。それまでの、学校、公園などの徒歩限界線を越えて、電車3-4駅まで拡大した。隣接学校区まで行けるようになり、他地区の人々の様子も見れた。「ああ、同じ子供だ」と思ったか、「ちょっと、違うな」と思ったかは記憶していない。しかし、人としての「ベンチマーク」はここらあたりから始まったと言える。さて、しばらくぶりに、長年かけて作成した、「世界思想史年表」を開いて見たのだが、「西欧哲学の始まり」は、正にこの「ベンチマーク」から起こった。つまり、都市国家間、諸国間の「往来増加」で多様な世界観が「認識」され、その原理、了解性の必要性がでてきてからだ。人の脳は開放系である限り、よりよく活動ができる。開放系とは、他者をペンチマークする事だ。だから、ベンチマークが人の思想原理であり、その基礎が移動性(Mobility)にあるのだと思う。しかし、他者に接触しても、その「他者性」を「了解」「共感」できなければ、ベンチマークにはならない。目と目だけでは、貴女と私は分かり合えないのだ。
2008年1月8日火曜日
No 研究 - Odds and Ends
2008年1月7日月曜日
The Audacity of Hope - 人の役に立つ人生
「バラク・オバマ」。ここまできたら、知りたくなったので、週末で読んだ。タイトルは、彼の通う教会の牧師の言葉で、「大胆不敵な希望」が訳。これを彼は、「アメリカの精神で最上のもの」と言う。「大胆さ」は、「分裂した国家に一体感を回復する努力」。「不適さ」は、「不遇な子供時代を受容し、自己の運命を切り開く運命的力と、その運命自体の責任を信じる」、とある。まるで、ハイデガーの「あるべき姿」だ。憲法学者、市民権法弁護士。アメリカ建国精神に立ち戻って、現在の「Great Divide」社会を「よりよい方向へ導こう」という志を述べている。どこかの国の「トップになりたい人達」が、時々出す「おかしな」本とは、内容の「格」が違う。「共感(エンパシー)という価値観」の重要性について、一章が割かれており、昨年聞いた星野氏の話とも符合する。「エンパシー」は、今年、自分のキーワードになるかもしれない。最後に、フランクリンの言葉を引用している。「あの男は財をなして死んだと言われるより、人の役にたつ人生を生きたと言われたい」と。
2008年1月4日金曜日
グローバルの地平 - 終わりか、初めか?
レイチェルと久しぶりに電話で話した。NYは零下10度。さて、年末年始は、日米での休み方が違う。NYが一番輝く、ホリデーシーズンが25日で終ると、彼らは休暇に入る。レイチェルとニックは今回は、シンガポールへ行ったそうだ。こちらは、28日まで仕事したが、年明けは逆。今日から稼動だが、NYは2日から動いている。要は、NYは「終わり」を祝って休み、新年は「淡々と」仕事を始めるが、日本は「始まり」を祝って休み、「晴れやかに?」仕事を始める。ローカルな文化の違いが、こういう差になるのだが、グローバルな世界では、こういう事実を押さえておかないと、危ない事もある。もちろんプロは対応していると思うが、年明けと共に、原油が100㌦をつけ、為替も大きく動いた。昨晩のTV番組の「ローマ」は、面白くは無かったのだが、カエサルの「寛容」(違いを許容する)に関しては、再認識できた。「ローカルな文化」と「グローバルな文明」の「折り合い」が、大事な課題だ。アイオアはどうなるか?
2008年1月2日水曜日
謹賀新年 - ブログ始め
2007年12月28日金曜日
祇園精舎の鐘 - 諸行無常の響き
2007年12月27日木曜日
新エネルギー - New Horizon
2007年12月26日水曜日
寒い - 棲家
2007年12月25日火曜日
修行の谷間 - 根本中堂
2007年12月21日金曜日
共感マーケティング - 何と答える
朝8時からアカデミーヒルズで、星野朝子氏の講演を聞いた。星野氏は、ケロッグ88年なので2年後輩。丁度冬休み帰国中の3男も同行した。主題は、「ダイヴァーシティー」と掲題。前者では、Diversity Development Office, Diversity Steering Commitee など設置し、業績へ直結する取り組みが成功と理解した。掲題では、「Sympathy とEmpathy(共感)」の違い、「Empathyをどう高めるか」なんてのが、面白かった。要は、Sは身内に対して抱くもの、Eは他人に対して「抱こう」と努力する「スキル」と理解。「共感力」を高めるためには、①映画、本などの(自分から遠い)キャラクターになりきるシュミレーション ②自分をよく知る ③待つ態度の実践(「解」を提示しない) ④観察する態度 ⑤PDCA。 こう並べると、ロジャースのカウンセリング理論に立脚している事が想像できる。そして最後だが、「できません」と言われた時に、「何故?」と答えてはいけないのだそうだ。それでは、「できません」と言われた時には、何と答えるか? それは、「何が?」と答えるのが正解だそうだ。納得だ。
2007年12月20日木曜日
On Schedule? - On Demand?
組織が合理化、効率化を進め、そのまま放置すると、硬直的、官僚的になる。これをマックス・ヴェバーは「鉄の檻」と称した。開国以来の日本は、まさに「国家の興廃」をかけ、乾坤一擲、効率的な国家体制をとり、見事勝ち残ったが、ヴェーバーの予測どおりの、「鉄の檻」にはまった。官僚体質は、すべてがマニュアルで、「オン・スケジュール」である。学校の仕組みもそうだ。大学も4年間、とにかく在席せねば卒業できない。単位が取れれば卒業できる、アメリカの仕組みとはだいぶ違う。さて、関係ないようだが、昨年までは、NYからホリデーカード、東京から年賀状を出していたが、今年はNYにはもういない。そこで、ついでだが年賀状をやめようかを考えている。メールの時代でもあり、「ださないよ」という人も増えてきた。アメリカでは、ホールマークなどのカード屋さんが豊富で、冠婚葬祭、感謝感激、とにかく「オン・ディマンド」でカードを出す。「初対面の人には3日以内にカードを出せ」なんて言葉もあるくらいだ。とくると、年賀状をオン・スケジュールで出すなんてのは、官僚体質なのか、なんて「言い訳」を考えたりしてみている。
2007年12月19日水曜日
The Blank Slate - Steven Pinker
2007年12月18日火曜日
Subpoena - 買えはしないが
サポンナではない。サブポエナでもない。「サッピーナ」と読む。この言葉を知る日本人は少ないだろう。更に書けば、これを「もらった」事のある日本人は、数えるほどしかいないだろう。もう15年以上前だが、私は米国下院公聴会への「サッピーナ(召喚状)」をもらった。今やJapanはPassingの時代を超えて、Vanishingかもしれないが、当時Japanは「飛ぶ鳥を落とす as a No1」で、Bashing の標的となっていた。そこで起こった、「米国内での米国人差別事件」の証人としての召喚だった。当初は、「冗談だろう」とたかをくくっていたのだが、弁護士から「拒否はJAILだよ」と脅されて、しかたなく出席した。トムラントス委員会。内容は省くが、「とても」貴重な経験をした。それよりも、「何でこんな事になるのよ?」という疑問の念が沸き起こり、そこから「我が人生」は、舵を切った。というより、元々興味があったテーマへ突き進んだと思う。つまりこうだ。「グローバルとは?」「日本とは?」「企業とは?」「仕事とは?」「社会とは?」「人生とは?」「人間とは?」という、「なぜなぜなぜ」の連鎖をたどったわけだ。「苦労は買ってでもしろ」。けだし名言だ。
2007年12月17日月曜日
OBかい? - 沈黙のかんぱい
朝8時から、大学時代のOB/3人で忘年テニス。昼間は、車にWAXをかけ、部屋を大掃除。そして5時から外人記者クラブで、カントリージャズを聴きながら、NY時代のOB/4人で忘年ワイン。充実した土曜日を過ごした。これは、松島さんを囲んだ楽しい会で、昨年の帰国以来、楽しみにしている。松島さんは、今年は映画500本という事で、日本で封切られる映画をほぼ制覇との事だ。NY時代からこのペースだとすると、何千本になるのだろうか?今年から始められた「365日映画コラム」も絶好調。毎日なんだから、脱帽ものだ。という事で、テニスと掃除での「筋肉疲労」、楽しい話で過ごした「酒食疲労」。この状態で日曜ゴルフに出かけたわけだ。運転手代わりに連行した次男は、私と大学は同窓、そして、この日のパートナーは、偶然大学が同窓。即席の大学OBゴルフ会となった。この大学は、同窓生が多いから、何処でもいるわけで、特段偶然という事は無い。例えば、私が新入社員時、ある先輩社員にエレベーターで、「同窓です、よろしく」と挨拶したら、「石を投げれば当たる」と冷たかった。それが縁なのか、30年たった今でも親しくしていただいている。それはそうと、ゴルフは「OB」多発で、今年最悪スコアとなった。「語れない事は、沈黙しなければならない」(ウトゲンシュタイン)。
2007年12月14日金曜日
世にも不思議な - しかし、、、
F先生。先月ボストンへ出張したおり、乗り換えのデトロイト空港、早朝のタラップで、別件・別便で移動中のM先生とバッタリ出会ったと言った。ご両名、そんなに多く海外へ行くわけではなく、しかも北米上空には常時4000機が飛んでいるわけで、その時間、その場所に出くわすというのは、偶然と言っても不思議な事だ。確立計算なんていう代物ではない。そう言えば、昨年だったか、自分も新宿で同じような「偶然?遭遇」を経験した。「不思議な偶然」という事かも知れないが、どう考えても、そこには「何かの必然」があると思われる。つまり、ヒトには意識にのぼらない、或いは、感知しても表象意識に残らない無意識の「MIND」があるという事だ。だから、種明かしをすれば、こういう遭遇も、何かの無意識情報に基づいて、行動時間と範囲が交差していると思われる。元々、「関係」がある人同士だから、こういうことが起こるので、「関係」がなければ、「偶然」もおこららない。あたりまえだ。「なじむ」「慣れる」というのは、無意識のレベルでの行為習得だが、帰国1年経ち、ようやく通勤路の信号の変わり具合などが、カラダのレベルで判るようになったし、ゴルフもテニスも少しは上達した。そんな事はどうでもよいが、今日は「財布」を家に忘れて来てしまった。
2007年12月13日木曜日
思い出ポロポロ - 負け惜しみ
小学校の同窓会案内が時々届く。足を運ぶ事はもうないのだが、時折電車で通り過ぎるので、概観の変遷はわかる。母校は卒業生14000名の内、70%の住所を把握していると書いてあるが、これはたいした事ではないだろうか。又、創立80年という事も知って、比較的新しい学校だったとも再認識した。というのは、子供達が通った現住所近くの学校は、今年が創立100年という。、調べてみると、「小学校制度」ができた1907年、その年に開校した事がわかる。「学校制度」は1886年なので、明治維新後だが、慶応大学などは、1858年創立だから、来年で150周年だ。記念切手発行も決まったという。懐かしいが、子供の頃記念切手収集が流行っていて、「慶応100年」なんてのは、定番中の定番だった。あれは1958年、私が小学校の時だった。あの頃は、「月に雁」とか、「見返り美人」なんてのが、高額で、ガラスケース越しに眺めた物だ。苦労して集めた切手帳も、札幌、シカゴ、NYと転々とするなか、どこかで無くしてしまった。それ以来、「物には固執しない」を心に決めて、昨年のNYからの転居の際も、「思い出」以外すべて捨ててきた。
2007年12月12日水曜日
ちょっと一服 - Change of Air
南北朝動乱前後の太平記あたりを、ここ1-2ヶ月読み続けたが、とりあえず読み終えた。これで買い置いていた時代物は机の上からなくなった。さてと、立ち寄った本屋で「内臓感覚」などという、変なタイトルに目がとまり、今日から読み出した。「脳腸関係」などと、面白い言葉が並ぶが、要はIBSという、ココロを腸の関係のようだ。20年間NYと往復をして、ダイジェスチョン関係は、大変な苦労をしてきたが、今は逆に、定住生活での食と消化関係に苦労をしている。だから、こいいうタイトルに目が反応するのは、ま、わかる気がする。「NHKブックス」は久しぶりで、2年程前はNHKブックスのはまり、ピンカースなどを、尽きるまで読み漁った。いつも書くが、こういうところは、「はまると、はまってしまう」性質のようだ。そして、はまると、全部読み終えないと気がすまない。全部読み終えると、次の「はまり」を探して「放浪」する。なんとも、わがままなものだ。
2007年12月11日火曜日
メディアの花嫁 - 次の地平
The Medium is the Massage というマーシャル・マクルーハンが1967年に書いた本が私の書庫にある。竹村健一の「マクルーハンの世界」は中学時代に読んだ。「服は肌の延長、車は足の延長、本は目の延長、、」。つまり、「人間拡張の理論」がここにある。最後に「中枢の延長は?」となるわけだが、ここでは「電気回路」となっている。初の汎用機である「IBMシステム360」が世に出たのが、1964年だが、彼もまだ情報通信技術がここまで進むとは想像できなかったかも知れない。しかし、明確に来るべき時代のIssueは捉えていた。マクルーハンはEdmonton というカナダの小都市で1911年に生まれ、私の生まれた1951年に「The Mechanical Bride(機械の花嫁)」を発表した。「産業社会のフォークロア」という副題が付いている。今週は大学で「デジタルメディア&コンテンツ」のシンポジウムに出席し、アメリカ、アジアをリアルタイムに結んでの議論を聞いている。今朝、スタンフォードのサフォー氏が話していたのは、今や「インフォメーション革命は終わり、メディア革命の時代に入った」、同じく「マスコミュニケーションの時代が終焉し、パーソナルコミュニケーションの時代に入った」とも言った。そこでは、マクルーハンの洞察は、そのまま新鮮だ。
2007年12月10日月曜日
考えるワタシ - それでも地球は、、、
これを書き出したのが、04年の10月だから、4回目の12月という事になる。そこで各年の12月を振り返ってみたのだが、ま、考えている事はダイタイ同じのようだ。世の中で起こっている事象はコクコク変化しているのだが、それを捉え、考えているのは、このワタシだから、急に大きくは変われない。世の中の動きも、「ツリー点灯」のように、恒例の物もあり、そういう事象を、その時の環境と絡み合って、ワタシが感じているのだ。ハイデガーは、「存在と時間」の中で、「本来のあり方とは、既に存在する(過去)を引き受け、自分の(使命)を自己に与え、将来へ自分を(登企:投げ出す)する」というような事を言っている。キュルケゴールが、「人間は関係の関係の関係だ」と言ったのを、時おり思い出して考える。過去、環境、時間、場所などの関係を考えながら、こういうメモを残しておくのも、「自分」を考える上では面白い。その意味で、ヒトの思考世界は、高度技術の進化により、大きなターンテーブルを回ったという事は、今はっきりと判る。ところで、土曜見舞いの両親は堅調。日曜ゴルフは復調ながら入賞逃す。ボルボは修理が終了。次男は携帯を買換え。長男は明日UAEから帰国だ。
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