2008年5月28日水曜日

もの、かたち、ちから - テラスの哲学

ギリシャの哲人たちも現代の我々も、「考えるヒト」という点では、あたりまえだが同じだ。逆に言えば、ヒトが考える構造の基礎がその頃できたといってもよいだろう。考える対象物である「もの」、それの設計図で、イデアに近い「かたち」、そして、生きる物のかたちの底流をなす「ちから」という思考の構造だ。特に、後の2つは、アポロン的、ディオニソス的ともいえるし、現代的に言えば、構造と機能と言ってもよいかもしれない。さて、テラスにゴーヤの苗を植えたのが、5/5で約3週間がたった。5/14の写真と比べてみれば判ると思うが、2週間ですでにこの(写真)成長振りだ。1週間くらいで、しおれて枯れそうだった一本も、ケアのかいがあったのか、どうやら持ち直してきた。生き物はDNAにその設計図を組み込む。だからこれを生き物の「かたち」と言えない事もない。しかし、生き物は静止的な「かたち」を作るだけでなく、「生きる」というダイナミズムの「かたち」を持っている。もっと言えば、その生き物の中で、ヒトは「意思」を持つ事ができる。「力への意思」、これはニーチェの言葉だ。

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