2007年11月30日金曜日

やっぱ、教育かなー? - 民度

人間観察を趣味にしているわけではないが、どうしても街行くヒトを見て考える事が多い。自分の行動範囲も限られているし、偏っているのは承知だが、どうも最近の日本人(?)はアロガントに見える。勉強はそれなりにしているのだとは思うが、どうも孤立的で利己的な感じだ。若い女性を槍玉に上げるつもりは無いが、ファッション雑誌さながらの風体、化粧で、「何するヒト?」といつも思うし、道が狭いせいもあるのか、突然止まったり、ふさいだりして、戸惑う事もある。電車の乗り降りなども、昔と比べれば乱暴になってはいまいか。日本は極東の島国で、世界から見れば特殊環境だから、どうしても思考、欲望がウチへ向かうのは長年受け継いだDNAなんだが、グローバルとの接触や関係、比較をせざるを得ない今日では、「こりゃ、だいじょぶか?」と思うのは、私だけではないだろう。そりゃ、どこの国にも「バカ」はいるのだが、バカをバカとして捉える普通人が主流だろう。教養とは、知識であり、人間力である。人間力とは、自他それぞれを知り、その関係を考える事である。歴史に学び、人に学ぶ。何処の国でも、そういう普通の人が社会を支えると思う。逆に言えば、それが、近代社会の構図だろう。

2007年11月29日木曜日

抹消の奴隷 - ら、ら、ら、、、

次男が転職し、今週から無事?に仕事を始めた。長男は、なにやら国際コンペ準備で、毎日明け方まで仕事。という事で、イリノイの3男が冬休み帰国するまで、我が家は小康状態に入ったようだ。夏から秋までベランダで世話をしていた朝顔も、もう片付けて種を収穫、今はプランターに数種類の野菜を植えている。今朝は冷え込むというので、心配したが、問題はなかった。と、書くとどうもジジむさい。さて、春から空いていた寺の隣地になにやら建設が始まり、早朝からトンテンカンと音がする。それが無くても、6時には読経が始まり、ポクポク音で目が覚める。そこでだ。「目覚め」というのは、身体が先で、意識が後という事だ。ポクポクにしろ、トンテンカンにしろ、聴覚系が、まず捉えて身体を起こす。意識は、やわら後からついて来る。そこでの不思議は、昨晩の「自分」が、同一の自分として戻ってくることだ。同一地点で生活していれば、そんな事はあまり意識しないだろうが、20年間、ほぼ毎週移動していた、この「自分」は、大げさに言えば、毎朝「ここは何処?、私は誰?」なんて考えていたので、こんな変なココロを持つにいたったのかも知れない。そういえば、「私は誰?」となる様な、酒の過ごし方もめっきりしなくなったな。

2007年11月28日水曜日

テニスの効用 - 体とココロ

週一だが、テニスのレッスンを受け初めて半年がたった。始めの数回は、肘や腕が痛くて、サポータやら、鎮痛シップやらと対応したが、今はもうバリバリOKだ。やはり、コーチに言われた通りに、インナーマッスルを鍛えた効果がでたかもしれない。それよりだ。週一回なんだが、全身の筋肉を激しく使うから、ランニングや、ましてやゴルフなどと比べて、身体が軽くなり、もしかすると腹回りも楽になった。NYに居た時は、地下鉄やバスが便利だったので、あまり歩く事はなかったが、東京では通勤や、仕事で結構歩くようになった事にも原因があるかもしれないが。テニスはゴルフと違って、スコアなどの目標指向ではないので、練習のみの中に、楽しみを見出さねばならない。もちろん、友人とゲームをしたりする時には、練習の成果も出るだろうが、なにせ相手がいるスポーツだから、ゴルフとは違う。思考回路的に考えると、テニスは、練習では、相手と「うまくつなげる」事を気にするが、ゲームでは相手にを「うまく破る」事を目指す、ややこしいスポーツだ。その切り替えがうまくないと、練習で相手を困らせて、友人を無くすし、ゲームで相手を利して、自分がいやな思いをする。ゴルフはプレイに相手が居てもいいが、これは明確に「自分のメンタル」との戦いだ。どうでもいいか、そんな事は。(写真は蘇州の虎丘の斜塔と紅葉)

2007年11月27日火曜日

「食」の進化? - ホンモノはなんだ

上海の話は、今日で終わりにするが、上海2日目は蘇州へ行った。高速で一直線だが、街の出入りが渋滞するので、片道2時間というところだ。蘇州自体は、寺とか、庭とかの世界遺産があるのだが、見てみれば、日本のそれらとあまり変わらない。そりゃそうだ。日本のそれらが、大陸が起源だから同じなのは当然だ。それはそうと、上海蟹は江蘇省と安徽省の境に位置する水郷地帯で取れるそうで、その近くをバスで通った。ちょうど今が季節で、それを堪能した。しかし、最近は偽者もあるそうで、「本物」にはブランドを示すタグが付いている。日本でも、関鯵なんかにもタグをつけているから、それを模したのか。以前にも食べた事があるが、今回は比べものにならないほど、美味かった。季節だからなんだが、子もいっぱいあって、身も美味い。昔食べたのははもっとチープで、「上海かには食べる所は少なくて、足をしゃぶる位だ」なんて言われたように記憶していたが、こりゃ騙されたか。しかし、日本でも昔は、「子持ちこぶ」とか、薄かったものが、今や子がびっしりで、人工なんだが、養殖なんだかわからないが、「食」という事も、「ホント」が何かなんてわからなくなっているのかも知れない。

2007年11月26日月曜日

そんなの関係ねー? - ホンネとタテマエ

歳をとると、運動後の筋肉疲労が、1-2日遅れてくる。理由は知らない。脳もそうだろうか。大きな体験は、昔なら直ぐに咀嚼、感想につなげたが、最近は、頭の中でこなすのに時間がかかる。今回の上海も、見聞きした事を、理解と知識につなげるには少々時が必要だ。シナプス老化だろう。さて、それはそれとして、上海で松原氏と車中で色々と話した中に、「社会主義資本経済の今後」があった。つまり、目の前のギラギラ経済発展と、共産党一党支配との関係をどう考えるかだ。経済は、構成する人の欲望の内外爆発で拡大し、そこでの格差の不満を暴発にまで行かない程度に制御する事だ。それができれば、その上部構造の政治やイデオロギーは「関係ない」という事か。上に立つものが、腐敗・搾取していると思われない内部統制を見せれられればそれでよいのかも知れない。日本だって、資本主義といいながら、現実はマルクスが目指した「社会主義」になっている。ようは、上部構造がタテマエで、下部構造がホンネということだろう。更に言えば、それを横に比較する事はあまり大事ではなく、その2者のバランスがうまく取れているかの度合いの比較が大事だ。

2007年11月25日日曜日

10年ぶり - ギラギラ上海、恐るべし

2泊3日で上海に行ってきた。多分10年ぶりだ。当時、空港は虹橋にあり、高速道路、地下鉄の建設が始まっていた。それがどうだ、リニアが走り、超高層ビルが立ち並び、高速道路が縦横に通る。ちょっとした道の奥を見れば、まだ昔の町並みも少し残るが、まるで違った街になってしまったようだ。あの頃に外資といえば、日本企業で、たとえば伊勢丹デパートなどががんばっていた。それは今もあったが、こう言ったら失礼だが、ターゲット客層は、多分中流以下になっているようだ。つまり、上層、超上層の勝ち組が出現し、それを相手のブランド街、レストラン、ホテルが新築されている。今回宿泊したのは、一番最近オープンの、ル・メリディアン。新築でも、どこかずれていたり、中国モードだったあの雰囲気は、もうどこにもない。「ここは六本木のミッドタウン」と言っても、まずわからない。上海タワー脇のグランドハイアットの入る、金茂タワーの88階に上ったが、景色は「すごい!」の一言。さらに、その隣には101階建ての森タワーが建設中だった。上海蟹、紹興酒も堪能したが、「上海」、そして「中国」、そのものの、エネルギーと発展を目の当たりにした。帰国後、成田からバスで都心へ向かったが、なんだか景色が「寂しかった」。でも、ギラギラから離れて、ちょっと「ほっと」した。