
ヴィトゲンシュタイン流に言えば、「私は世界のすべてを知っている」と言ってよいかもしれない。なぜなら、彼は「世界とは私の知っているすべてだ」というような事を言った(正しくは、「言葉で表されるすべての物」だったと思う)と理解している。だから、「語れないことは、沈黙しなければならない」と言ったのだろう。さて、雑踏を歩いていて、よく考えるのは、①これだけ多くのヒトが、曲りなりにもぶつからないで、よく歩いているもんだ(ロボットではこうはいかない) と、②これだけの数のヒトの脳に、それぞれの「世界」と「真理」があるんだ、 の二つだ。一卵性双生児は、(ほぼ)同じ「世界」を共有しているとの研究成果が出ているが、これ以外は、ほぼ違う「世界」を持っていると言ってよいだろう。しかし、一方では「人類は皆同じ言葉を話す」という説があるから、そうとすると、すべてのヒトの持つ「世界」は同一だ、とも言える。こう書くと、言葉の遊びみたいになるが、ここでは「世界(個別)」と「世界(全体)」の二つの世界が混同されている。どうでもいいか。