2007年12月14日金曜日

世にも不思議な - しかし、、、

F先生。先月ボストンへ出張したおり、乗り換えのデトロイト空港、早朝のタラップで、別件・別便で移動中のM先生とバッタリ出会ったと言った。ご両名、そんなに多く海外へ行くわけではなく、しかも北米上空には常時4000機が飛んでいるわけで、その時間、その場所に出くわすというのは、偶然と言っても不思議な事だ。確立計算なんていう代物ではない。そう言えば、昨年だったか、自分も新宿で同じような「偶然?遭遇」を経験した。「不思議な偶然」という事かも知れないが、どう考えても、そこには「何かの必然」があると思われる。つまり、ヒトには意識にのぼらない、或いは、感知しても表象意識に残らない無意識の「MIND」があるという事だ。だから、種明かしをすれば、こういう遭遇も、何かの無意識情報に基づいて、行動時間と範囲が交差していると思われる。元々、「関係」がある人同士だから、こういうことが起こるので、「関係」がなければ、「偶然」もおこららない。あたりまえだ。「なじむ」「慣れる」というのは、無意識のレベルでの行為習得だが、帰国1年経ち、ようやく通勤路の信号の変わり具合などが、カラダのレベルで判るようになったし、ゴルフもテニスも少しは上達した。そんな事はどうでもよいが、今日は「財布」を家に忘れて来てしまった。

2007年12月13日木曜日

思い出ポロポロ - 負け惜しみ

小学校の同窓会案内が時々届く。足を運ぶ事はもうないのだが、時折電車で通り過ぎるので、概観の変遷はわかる。母校は卒業生14000名の内、70%の住所を把握していると書いてあるが、これはたいした事ではないだろうか。又、創立80年という事も知って、比較的新しい学校だったとも再認識した。というのは、子供達が通った現住所近くの学校は、今年が創立100年という。、調べてみると、「小学校制度」ができた1907年、その年に開校した事がわかる。「学校制度」は1886年なので、明治維新後だが、慶応大学などは、1858年創立だから、来年で150周年だ。記念切手発行も決まったという。懐かしいが、子供の頃記念切手収集が流行っていて、「慶応100年」なんてのは、定番中の定番だった。あれは1958年、私が小学校の時だった。あの頃は、「月に雁」とか、「見返り美人」なんてのが、高額で、ガラスケース越しに眺めた物だ。苦労して集めた切手帳も、札幌、シカゴ、NYと転々とするなか、どこかで無くしてしまった。それ以来、「物には固執しない」を心に決めて、昨年のNYからの転居の際も、「思い出」以外すべて捨ててきた。

2007年12月12日水曜日

ちょっと一服 - Change of Air

南北朝動乱前後の太平記あたりを、ここ1-2ヶ月読み続けたが、とりあえず読み終えた。これで買い置いていた時代物は机の上からなくなった。さてと、立ち寄った本屋で「内臓感覚」などという、変なタイトルに目がとまり、今日から読み出した。「脳腸関係」などと、面白い言葉が並ぶが、要はIBSという、ココロを腸の関係のようだ。20年間NYと往復をして、ダイジェスチョン関係は、大変な苦労をしてきたが、今は逆に、定住生活での食と消化関係に苦労をしている。だから、こいいうタイトルに目が反応するのは、ま、わかる気がする。「NHKブックス」は久しぶりで、2年程前はNHKブックスのはまり、ピンカースなどを、尽きるまで読み漁った。いつも書くが、こういうところは、「はまると、はまってしまう」性質のようだ。そして、はまると、全部読み終えないと気がすまない。全部読み終えると、次の「はまり」を探して「放浪」する。なんとも、わがままなものだ。

2007年12月11日火曜日

メディアの花嫁 - 次の地平

The Medium is the Massage というマーシャル・マクルーハンが1967年に書いた本が私の書庫にある。竹村健一の「マクルーハンの世界」は中学時代に読んだ。「服は肌の延長、車は足の延長、本は目の延長、、」。つまり、「人間拡張の理論」がここにある。最後に「中枢の延長は?」となるわけだが、ここでは「電気回路」となっている。初の汎用機である「IBMシステム360」が世に出たのが、1964年だが、彼もまだ情報通信技術がここまで進むとは想像できなかったかも知れない。しかし、明確に来るべき時代のIssueは捉えていた。マクルーハンはEdmonton というカナダの小都市で1911年に生まれ、私の生まれた1951年に「The Mechanical Bride(機械の花嫁)」を発表した。「産業社会のフォークロア」という副題が付いている。今週は大学で「デジタルメディア&コンテンツ」のシンポジウムに出席し、アメリカ、アジアをリアルタイムに結んでの議論を聞いている。今朝、スタンフォードのサフォー氏が話していたのは、今や「インフォメーション革命は終わり、メディア革命の時代に入った」、同じく「マスコミュニケーションの時代が終焉し、パーソナルコミュニケーションの時代に入った」とも言った。そこでは、マクルーハンの洞察は、そのまま新鮮だ。

2007年12月10日月曜日

考えるワタシ - それでも地球は、、、

これを書き出したのが、04年の10月だから、4回目の12月という事になる。そこで各年の12月を振り返ってみたのだが、ま、考えている事はダイタイ同じのようだ。世の中で起こっている事象はコクコク変化しているのだが、それを捉え、考えているのは、このワタシだから、急に大きくは変われない。世の中の動きも、「ツリー点灯」のように、恒例の物もあり、そういう事象を、その時の環境と絡み合って、ワタシが感じているのだ。ハイデガーは、「存在と時間」の中で、「本来のあり方とは、既に存在する(過去)を引き受け、自分の(使命)を自己に与え、将来へ自分を(登企:投げ出す)する」というような事を言っている。キュルケゴールが、「人間は関係の関係の関係だ」と言ったのを、時おり思い出して考える。過去、環境、時間、場所などの関係を考えながら、こういうメモを残しておくのも、「自分」を考える上では面白い。その意味で、ヒトの思考世界は、高度技術の進化により、大きなターンテーブルを回ったという事は、今はっきりと判る。ところで、土曜見舞いの両親は堅調。日曜ゴルフは復調ながら入賞逃す。ボルボは修理が終了。次男は携帯を買換え。長男は明日UAEから帰国だ。