2008年10月9日木曜日

ある朝の愚問 - 情動自由

商用放送の起源は、ラジオもテレビも大体80年前くらいだからそんなに古い話ではない。ちなみに、新聞が今の形で始まったのは産業革命以降だというから200年位の事だ。人はそれぞれの時代に生きて、歴史目撃者となるが、自分を振り返えれば明らかにテレビの時代を生きたと言える。街頭にしかなかったテレビが、家に入る。置く場所がないから押入れに置き、近所の人が見に来る。まるで三丁目の夕日だが、そのままだ。オリンピックでカラーになり、その後は革新はなかったが、朝晩の茶の間の主役であった。あたりまえだが、テレビは一方的であるがゆえに楽であるが、自由はない。シリアルであるが故にCMが成り立つ。ネットは双方向であるが、使いこなすには「こちら」側の意思がいる。とすると、テレビは衰えず、怠惰な愚民=テレビ、意思の自由人=ネット、という構図になるのか。(愚民著)

2008年10月8日水曜日

ジンメル -相互作用的社会観

毎月のようにNYと東京を往復していた時代は、地下鉄やバスに乗ると、2都市の違いがよく目に付いたものだ。それが、殆どの時間を東京で過ごすようになったからは、それが「日常化」してしまったようだ。目に見えているが、特段の意識無しに行動するという脳の回路化がなされたと言う事だろう。これを「慣れる」と言ったり、「馴染む」と言ったりするのだが、脳の働き的には怠惰だろう。しかし、時には「ハッと」する場面もある。気になっていたのだが、どうも東京の人々は駅改札などで割り込む傾向がないか?ICカード化したせいかとも思っていたが、乗降時や曲がり角でも、遮るように割り込む。自分がトロイせいかとも思ってみたが、NYではこういう事は無かった。混雑していても、むしろ譲り合ったように思うが。気のせいか?

2008年10月7日火曜日

ミネルバの梟 ー 時代を見る目

世界の金融がどうやら大変だが、20年前のNYを思い出す。ブラックマンデーが86年で、その後ブッシュ父が大統領になった頃からが大変だった。不動産もガタガタになり、確かトランプも破産したのではなかったか。ホワイトカラーもリストラされた、街は閑散。5番街だって、路面店もあちこち空き家になった。レストランも閑古鳥。それははっきりした物で。肌で不況がわかるという体験をした。それが、回復しだすのはPC,インターネットが普及しだす、93-4年だったと思う。空き家だった42丁目あたりにPCショップができ始めた。不況が始まった91年頃には、「回復には10年かかる」と言われたのだが、実際には2-3年で戻り始めたと言う事だろうか。今回は、まだ始まったばかりだが、やはり2-3年かかるのだろうか?写真は京都伏見の寺田屋。刀傷などもっともらしく見せているが、実は再建らしい。

2008年10月6日月曜日

思い込み - どうでもよいが、、、

義経軍と義仲軍が1184年に対峙した宇治橋あたりの宇治川を見に雨の週末にトコトコと出かけた。京阪線の宇治駅に着くと直ぐに河岸が見えたが、思ったより川幅は狭い。物語では矢も届かず、馬筏を組むほどの急流とあるが、その昔はそうだったのか。それよりも、意外だったのは、河が北からではなく、南から、つまり左から右へと流れていた事だ。宇治川を挟んでは、何回か戦いがあり、その話を読むたびに、河は対岸の平等院を眺めつつ、右から(京都方面、北から)流れているものだとばかりと思っていた。百聞は一見にしかずだな。別にそれがどうという事ではないが、平等院も思っていたより小ぶりだった。