2008年3月21日金曜日

ベンチマーク? - さすらいの貧者

NYでの単身生活が長かったせいか、一人での行動には違和感がない。出張ばかりの移動狩猟生活だった20年間は、だから友人と集ったり、誘い合ったりもできず、ただシューズを持ち歩いて、ランニングをしていた。俗に、ランニングは貧者のスポーツとも言う。帰国後は、ゴルフとテニスを定期的にするようになり、テニスは来月で、もう1年になる。どちらも、通常は一人での参加だが、特にゴルフは毎回パートナーは変わるのが、問題はない。いつも、今日のお相手は?から始まり、1-2ホールで腕を拝見しながら、進行する。同レベルの人とわかっている、月例会などは、ある意味そのプロセスが不要で、安心感があり、総じてスコアも良い。しかし、上でも下でもレベル差が大きいと、スコアが悪い。相手が何者かを確認することがあるか、ないかという、日米文化の差のようなものだ。ところで、昨日は祭日なので、3時間のテニスの特別レッスンを受けた。美女?に囲まれて、張り切りすぎ、今日は足が痛い。

2008年3月19日水曜日

Where are you? - Where we are going to?

今、自分が話している相手が、自分と同じ「世界」を持っていないという事は、言葉では判ると思うが、実感する事は少ない。日本に居ると、それが顕著だ。というような、大げさな話ではないが、今朝、クレジットカードの件で、フリーダイアルにかけて、(感じのよい)おばさんと話をした。用件だけの内容なら、特にどうと言う事は無かったのだが、「日本からかけているよ」と言うと、「おー、何度くらいなの?」と返してきた。「55度くらい(ここで華氏なのが憎いね)かな」と私。「寒いのね」と彼女。「?」。そこでだ、「あんた、何処にいるんだい?」となったわけだ。だって、NYは今朝みたら、やっぱ、東京と同じ55度だったからだ。答えは。「フォート・ローダデールよ」。なんてやつだ、フロリダじゃないか。悔しいね。ボカラトンというリゾートは、そこから近くて、ゴルフが最高なんだ。関係ないが、クレジット会社だって、金融機関だ。2日前、BSが2ドル/株で身売りしたそうだ。今、15年前の自分の手帳が目の前にあるが、ここには90年代初頭の不況の歴史がまとめてある。延べ4300万人がレイオフされた。あれだ。

2008年3月18日火曜日

Predestination - Head or Tail?

ポカポカの日曜日、久しぶりに映画を見に行った。NY時代の週末は、朝はセントラルパークを走り、午後からは映画を見るのが定番だった。帰国後は、それが無い。朝のランニングは、「そこに公園がない」のが理由で、午後の映画は、「そこに映画館がない」のが理由だ。なんと、「だらしない」と思われるだろうが、そういうものだ。映画について言えば、NY時代は、映画館の数も多くて、毎週新作が出る。観客の楽しみ方も違っていて、雰囲気自体が楽しかった。言い訳はこれくらいにして、日曜日。「ライラ」にしようかとも迷ったが、新聞で見ると、吹き替え版やら何やらで、どうも「お子チャマ向け」の感じがぷんぷんで、興ざめ。NYだったら、こんな事は感じないで見れたと思う。どうでもよいが、それでだ、「ノー・カントリー」を「見てしまった」。これは、怖い映画だ。音楽が無いのが、又怖い。コーエン兄弟の作品だが、12年前、「ファーゴ」を見たときの、気味悪さを思い出した。ファーゴは、今でも独特の記憶として、吹雪のシーンが脳にへばりついている。あれは音楽も不気味だった。邪推かもしれないが、ポスターは「ベトナム戦争」を想起するが、意味ありだな。

2008年3月17日月曜日

ベルーフ・イデー - 我は?

「天職」というのが、和訳だが、マーチンルターの言葉だ。福沢諭吉は、「天の上に人を作らず、天の下に、、、」と言ったが、これは、ルターの思想を基礎にできた(作ろうとしている)欧米社会の表層の事だ。「天職」とは、それまでの封建的階層社会の「である」構造でなく、「職・階層に貴賎はない」、あるのは「どの職でも、それを懸命にこなす」という「する」という意欲とダイナミズムにあると言うことだ。もっと言えば、世界や人生には「これが正しい」という「真理」や、誰が正しい、誰が偉いという事はないという事だ。日本は春めいてきたが、世界の通貨や物価も大きく変わりゆく。変わらない事が大事なのではなく、変わり行く事物の中に、「生きる」目的を探す。