2008年1月25日金曜日

Perfect Storm - 嵐の海

昨日から日本は、冬の嵐。で、思い出したが、数年前に、掲題のような映画があった。これは、実話ベースの小説の映画版だった。いくつかの低気圧が合体した巨大嵐に船が巻き込まれる話。映画版はCGを駆使し、海全体が画面いっぱいに荒れ狂うやつで、確かこの波表現に特殊技術が使用されたとかなんとかだった。それはそれとして、自分も真冬の北太平洋を貨物船で横断した。豪華客船などは、穏やかなハワイ航路などだが、丸い地球のせいで、距離が長い。貨物船は、航路短縮で、荒れるアリューシャン航路を取るわけだ。だから、安かったが大変だった。横浜出航と同時に揺れだして、北海道を過ぎたあたりから、揺れる、揺れる。波を直角に突き進むと、縦ゆれで、これをピッチングと言う。この逆が、横揺れのローリングだ。最短路を取ればピッチングにもなるが、キャプテンの温情で、比較的楽なローリングを多くしてくれた。それでも、大きく揺れると、ベッドから投げ出されるので、椅子の背をロープでくくりつけて寝た。2週間。寝たきりで、食事は殆どできなかった。懐かしい。40年前の思い出だ。

2008年1月24日木曜日

Important Note - 「土蜘蛛」から「安宅」へ

NYのジャパンソサイティーで、梅若六郎の「土蜘蛛」を見たのは、もう3年前。思い出せば、その2年前、セントラルパークの薪能で、「船弁慶」を見た。あれは雨で大変だった。さて、昨晩。大曽根さんにもらった切符で、NHK能鑑賞会、やはり六郎の「安宅」を見た。「これが」特に面白い演目なのか、自分の知識が、「能」に追いついてきたのかは判らないが、実に面白かった。NYの時は、舞台脇に、液晶ディスプレイが設置され、メトのオペラのように、解説の字幕が英語ででた。歌舞伎座にはイアフォンでの解説システムがあり、わかりやすいが、能はなかったので、ありがたかった。さて、今回。大曾根さんが、「観世」の台本を貸してくれた。これを見ながら見聞きしたので、「非常」によくわかった。おー、「のー」とは、こうして見るのか。開眼だった。ディスプレイでも、台本でも、解説は「肝心帳」。安宅の見せ場は「勧進帳」。ちょっと、無理があるか。

2008年1月23日水曜日

「雪じゃん!」 - DNA?

雪の朝は静かだ。ということで、とりあえず寝坊した。まずだが、とにかく最近の天気予報は当たらない。税金と英知を費やしても、できない物はできのなら、長老の経験と知恵に頼っていた昔の方がましだったか。さて、バタバタと、朝一緒に家を出た次男は、外に出て知ったらしい。「雪じゃん!」。突然、出勤する、ビジネスマンの暗い態度でなくなった。思い出すが、こいつが小学生の時は、傘で遊びながら帰ってくるから、傘は必ず壊れた。雪が降ろうものなら、おお騒ぎで、服はビショビショ。ま、都会の子だ。そういう私も、社会人5年目で札幌に転勤した折。スキーが好きだったから、嬉しかった。と、最初の冬の初雪を見て、「雪だ!」と喜んだものだ。それが、1年後の初雪を見て。「ああ、雪か(抑揚下がる↓)」となった。札幌の雪は大変で、雪かき、雪下ろしなんてのが、想像を絶する。路面に止めていた車は、ちょっと放置すると、こんもりとした、雪の下だった。その後、札幌→シカゴ→NYと寒いところを転戦したわけだ。写真は去年?のNY。

2008年1月22日火曜日

マイナリティーの視界 - 異質許容

私の記憶が確かならば、「Diversity」という事が、日本で言われだしてから10年位経つ。それも、一般社会ではなく、経団連とか、同友会とかの企業の勉強会や、指針の中での話しだ。文脈などは知らない。しかし、「同質性」の中で暮らす日本人、日本企業に、「多様性」の受容の必要性を説いたと理解している。今朝のCNNのトップページで、ヒラリー&オバマの並ぶ姿を見て、「それ」を思い出した。アフリカ系と女性系(?)。「多様性」の象徴みたいな顔ぶれだ。しかしだ。「Diversity」という言葉は、「アメリカは、どういう国か」という文脈や、「差別(Discrimination)の排除」の施策で、使われていたとも記憶している。「多文化の許容」なんてのは、60年代の市民運動あたりからだが、元々アメリカは「多様な国」で、「その共存」を進めてきたと思う。一方、日本は「同質だから、(アメリカのように)多様性を図れ」と言うのだが、どうだろうか。私とすれば、この「同質だと思っているという思い込みからの脱却への努力」なんてのが、必要なんではないかと思っている。どうでもいいか。

2008年1月21日月曜日

エスキモーゴルフ - 「イヌイット」と書くべきか

「下手の横好き」。昨日、零下で凍てつく成田でのコンペに参加した。芝もなにも凍土の如く白く硬い。氷結した池下に、鯉の群れが静止だ。シカゴ時代の「エスキモーゴルフ」を思い出した。当時、冬場は何処も閉鎖するが、一箇所だけ開いていた。シカゴは積雪は少ない、それでも一度降った雪はコース鎮座。そこで、完全防寒の体、スコップを携えカラーボールを打つ。雪に埋まったままでは打てないので、そこらをスコップで四角に掘り整える。そこから又打つ。もちろんグリーンは凍結しているから、パットはできない。寄せて終わり。池なんかに打ち込んだら大変。ボールは、「カーン、カーン」とあらぬ方向へ。これはホントの話だが、もちろん「お遊び」みたいなものだ。さて、昨日。昼に食べた物がよくなかったか、午後から持病の蕁麻疹で大苦労した。しかし、大たたきしたホールが丁度「ハンデホール」だったようで、新ペリエ方式の結果、準優勝と相成った。「ミドルは手硬く、ロングは果敢に」、前夜立てた戦略が当たったようだ。ヤッターマンも帰ってくる。