2008年3月14日金曜日

北京で蝶が、、、 - NYでどうなる?

確か、そんなような話だったと記憶しているが、それが「NYでどうなるか」が思い出せない。そんな事はどうでもよいが、「言葉上」は「風が吹けば桶屋がもうかる」みたいな話だ。しかし、内容は高尚で、「複雑系理論」の中ででてくる、多分カオス理論の話だ。さて、今日の東京は「雨」。という事で、NYの天気を見てみると、やはり「雨」。気温まで15度前後で同じだ。春だから北半球は世界中どこも「春」の気候というわけでもあるまいが、何度も書くが、NYと東京の天気は似ている。そこで、複雑系を思い出したわけだが、残念ながら、この2都市の天気に因果関係はない。当たり前だ。さて、文脈も無茶苦茶だが、「複雑系理論」は、サンタッフェ研究所が発祥だったのだが、読書後、あまりに刺激を受けたので、当研究所を訪問してしまった。あれは何年前だったろうか。映画ジュラシックパークでの恐竜の動きに活用される前だったから、もう随分と昔だ。

2008年3月13日木曜日

超偏見? - ごめん!

最近は、アメリカなどの食事も美味しくなって来たが、その昔のメシは「おおいに」まずかった。ロンドンなんぞに行った時は、「どうしてこんなに」と思うほど、食べる物がなかった。キドニーパイなんてのがあるが、申し訳ないが、食えた物ではない。申し訳ないが、スイスも貧し?かった。なにせ、チーズとジャガイモしかないのだ。悪い!ちょっと言いすぎかもしれない。しかし、これには理由があった。宗教改革での有名人にカルバンという人がジュネーブに居た。徹底的にストイックな人で、夕食時に家庭を回り、贅沢を取り締まったそうだ。そこで、人々は「わざと食事を貧しくつくる」ようになったそうだ。これは本当だ。そうでもなければ、あれほどまずくはない。さて、その逆が中国&日本だ。つまり、「人の欲」のままに食事を作るとすると、美味しい物を少しつつ多様に食べるようになる。それが、満願全席だったり、宮廷料理だったり、懐石料理だったりするわけだ。これは、推論だ。そして、欧米だが、最近のグローバル化で発見した人の欲望が、「ホント」の美味しさを求めるようになったというわけだ。日本酒だって、ラーメンだって、20年前のNYでは「偽者」ばかりで不味かったが、今は「本物」が流入し、美味しくなった?

2008年3月12日水曜日

夢も希望も? - 欲望資本主義

「弱小停滞国日本」と言ってしまっては、あまりに可愛そうだが、首相が変わって以来、どうもそんな感じがする。グローバルに見てみれば、なおさらだ。ドルの一人安は、サブプライムも加わっての、投機資金の流れだろうが、サブプライムの損を海外にばら撒いた分だけ、アメリカは得をしているらしい。景気はしばらく悪化するだろうが、その後は復活すると聞いた。「10年はかかる」と言われた、90年代初めの後退からの復活を目撃した自分は、それに同意する。一方、中国がすごい。昨年見た上海もそうだが、流れとしては、40歳代の米国留学帰国組みを中心に、「欲望資本主義」まっしぐらだそうだ。今日聞いた話では、マカオがベガスを抜くほどだそうだ。「ひと財産かける」なんてのがかっこよいそうで、商売もギャンブルもと言う事らしい。良いも悪いも、人の欲望を基礎に、リスクを取って、「夢や希望」を追いかける。この成長ダイナミズムが大事なんだな。月並みだが。

2008年3月11日火曜日

気合だ、気合! - それでもNYへ

さすがにもう、「冬は終った」と言ってもよいだろう。今年の冬は、最後まで「しつこく」寒い日が続いた。NYも寒かったが、やはり「毎日続く」北風には、2月の最後は辟易した。しかし、電車・バスなど人ごみでは、必ずマスクをし、手洗い・うがいも励行したおかげか、風邪をひかずにすんだ。「NY-東京往復生活」時代は、自慢ではないが、2-3ヶ月毎に風邪をひいていたから、体調的にはよくなったのだろう。ゴルフ、テニスと運動は定期的にするし、睡眠も規則的になった。なにより、医者に気軽に行けるので、検査もよく受けられる。今年もNYへは何回か行く予定にはしているのだが、こうして居ると、だんだんだが、足が遠のいているかもしれない。なにせ、飛行機代は高くなるし、今日調べたら、NYのホテルは又高くなっている。いかん、いかん。当然、可能な限り、今年も「行く!」。まったく関係ないが、写真は23年前に住んでいたシカゴのアパート。2年前に再訪したが、そのままだった。2階の角部屋が寝室で、大きなリビングとの2部屋。ここが我がアメリカ生活の原点だ。

2008年3月10日月曜日

ミネルバの梟 - 進化の目撃

次男の26才の誕生日という事で、長男も入り3人で食事。自分のその年の頃の「思い出」を話していたが、行動・思考は、変わっているともいえるし、似ているとも言える。ただ、改めて認識したのは、「技術進歩」の歴史だ。自分が社会に出て、最初にしていた仕事が、システムプログラマーだったが、そこで目撃・体験したのが、日進月歩するコンピュータだった。入力で言えば、「ワイアード」から、紙テープ、パンチカード、磁気テープ、磁気ディスク、と、次か次へ新技術がでた。中でも、ディスプレイの出現は、驚きだった。IBM3270というどでかい機械で、シリアルの文字を白黒で表示するだけの物だった。初めから「フル画面での入出力」のPCや携帯で育った息子達は、このプロセスを一部しか目撃していない。自分が、経験したからどうだという事ではないのだが、数千年の歴史において、「社会の革新」、「学問の革新」、「技術の革新」という事が、重層的におこっていると、なんとなく思った。梟が飛翔する「夕焼けの空」は時空を越えて、何度も繰り返すのだろう。