
「氏も育ちも(Nature and Nurture)」が現在の定説だが、生まれて直ぐの環境は、「人」の造りをかな左右する。昨晩TVをなにげに見ていたら、「顔識別ニューロン」なるものを題材に、人が顔を区別する仕組みを取り上げていた。大学の卒論で、多変量解析での「顔分析」を用いた自分としては、興味があった。そこでだ。人(大人)が顔を識別するには、生活周辺に存在する多数の顔から最大公約数的な「中心的顔」を形成し、そこからの「差」として捉えているという。これは、「言語は差異の体系だ」と言ったソシュールの論とも符合する。それよりだ。サルの顔を区別する事ができるのは幼児時期だけともあった。これも言語能力形成と同じで、乳児は言語能力を「すべて」持って生まれるが(これは「プラトンの問題」といつか書いた)、育て親の会話を聞く内に、必要音域などを聞き分けるニューロンだけが残り、残りは死滅する。これを「選択的死(アポトーシス)」と言う。乳児時期に多くの体験をさせることはできないだろうが、「人」に必要なのは、自分の活動の場をどの範囲で規定(意識)して、コミュニケーションとベンチマークのアンテナを活性化させておくという、モティベーションを維持する事だな。と、再認識した。