
NYは確かに高層ビルが多いが、川に挟まれ、面積の割りに公園(写真)も多く、季節感が感じられた。しかし、東京はごちゃごちゃしたコンクリートジャングルで、「光景的季節感」があまり無いような気がする。しかし、連続した日々を暮らして、クソ暑い真夏日から朝晩めっきり涼しくなったというような「体感的季節感」は、定住者としてよくわかる。こうしてみると、世界的に見て、零下から50度以上の気温にヒトは対応しているわけだが、逆に言えば、そいう地球環境に適応できるヒトだけが、生存進化したとも言える。地球温暖化なのかどうか、毎年夏の気温は上がり、老人など不適応者が出る。空調機械での適応という考えもあるが、進化論的にみればどうだろう。災害が来ると、最近「ライフライン」という言葉が出るが、ここで言うライフラインとは、電気、水道などの事だ。しかし、考えてみれば、それは、ヒトとしての退化社会での、「補助装置」に過ぎないのだ。そう考えると、都会のヒトは既に自然の中では生きれない程に退化してしまったとも言える。フランスの哲学者ビビリオは、これを「ヒトの身障化」と言い、「極の不動」とも言っている。