2007年10月12日金曜日

進化論的季節感 - 都会ビト

NYは確かに高層ビルが多いが、川に挟まれ、面積の割りに公園(写真)も多く、季節感が感じられた。しかし、東京はごちゃごちゃしたコンクリートジャングルで、「光景的季節感」があまり無いような気がする。しかし、連続した日々を暮らして、クソ暑い真夏日から朝晩めっきり涼しくなったというような「体感的季節感」は、定住者としてよくわかる。こうしてみると、世界的に見て、零下から50度以上の気温にヒトは対応しているわけだが、逆に言えば、そいう地球環境に適応できるヒトだけが、生存進化したとも言える。地球温暖化なのかどうか、毎年夏の気温は上がり、老人など不適応者が出る。空調機械での適応という考えもあるが、進化論的にみればどうだろう。災害が来ると、最近「ライフライン」という言葉が出るが、ここで言うライフラインとは、電気、水道などの事だ。しかし、考えてみれば、それは、ヒトとしての退化社会での、「補助装置」に過ぎないのだ。そう考えると、都会のヒトは既に自然の中では生きれない程に退化してしまったとも言える。フランスの哲学者ビビリオは、これを「ヒトの身障化」と言い、「極の不動」とも言っている。

2007年10月11日木曜日

ツインピーク理論 - 3時間と4時間

NYマラソンの初回は5時間25分だった。その後の目標を定めるにあたり、「ランナーの全貌」を知りたくなり、翌日NYタイムズに出る全出走者記録を元に、「時間別到着人数をグラフ」(左図)にした。そこで判ったのが、3種類の人が走っているということだ。つまり、トップアスリート(エリートランナーとも言う)で、3時間切りを目指す人達。これをサブスリー(「サブ」は下回るという意味がある)と言い、2番目は「サブフォー」で、4時間切りを目指す人達、そして、3番目は「その他大勢」だ。グラフを見れば明白で、3時間到着と4時間到着に人数のピークが来て、ピークを過ぎると漸減して行く。つまり、3時間、4時間を目指して走るが、到達できないと、大きくあきらめてしまうという傾向だ。私は、これで、「サブフォー」を目標に置き、2年後に「3時間57分40秒」でゴールした。マラソンは「足で走るのでは無く、頭で走る」と言われる。つまり、計画、ゴール設定と、それに向けての練習と、実際の走行だ。さて、講釈はどうでもよいが、今朝はサボってしまった。

2007年10月10日水曜日

東京マラソン - さて、どうする!

NYマラソンを最後に完走したのは97年だから、丁度10年フルマラソンを走っていない。しかし、今年の東京マラソンを見て、「再チャレンジ!」と思った人は私だけではなかったようだ。もちろん「初挑戦」の人も増えたと見え、倍率は約5倍になったそうだ。それに当選してしまったので、「さて、どうする!」だ。とりあえず、エントリー代は支払ったから、キャンセルはできないだろう。これがNYならば、1-2ヶ月前に、「キャンセルすれば、来年へ繰り越せる」なんて連絡があるのだが、東京はいかがか?NYでも初マラソンした93年頃は申し込めば走れたが、だんだん人気がでて、抽選になっていった。今は何倍かは知らないが、さすがに5倍という事はないだろう。東京は今年が始めて?で、一気に人気が出たようだ。ランニングのような運動は、文明度に比例すると言われていて、NYでも、毎年参加国のプロフィールが変わった。つまり、アジアでは、日本からのランナーがはじめ増えだして、それからコリア、チャイナ、インドとなったと記憶している。それとは違うと思うが、東京のこの人気は、①生活指数→飽食→メタボ現象 ②メトロの路上を走れるというレア経験 ③欽ちゃん効果? かな。そうだとすると、私の「ツインピークス到着理論」は、今回「右へ」シフトするのか?とりあえず、今朝は6時起きして、30分程走ってみた。これを人は、「泥縄」という。

2007年10月9日火曜日

草の葉の露 - 自分ゾーン

「たかがゴルフ」なのかも知れないが、4ヶ月ぶりの悪いスコアで、昨晩は落ち込んだ。先週以来、スイング練習機を買い込んだり、前日は早朝から長時間練習場で打ち込んだりして、「考え過ぎ病」にはまったかもしれない。しかし、途中までは、苦しいながらも我慢のゴルフをしていたものが、前半ラスト2番のOB3連発で崩れた。時々いるのだが、パートナーが、「教え好き」の人に当たった。グリップ、スイングなど、「好意」でアドヴァイスされるのだが、「そいうのが嫌いな」私にはたまったものではない。雑音に惑わされず、「自分のゴルフを」と思えば思うほど、「どつぼ」にはまった。アメリカのトッププレーヤーを研究したある学者が、「ゾーンに入る」という事を言っている。つまり、「自分の世界」に入り込み、心身一体となった無我の境地で、驚異的プレイが可能になるという事だ。武芸一般にも当てはまるだろう。生きるヒトには、折り合いは大事だが、戦うヒトには、「自分ゾーン」が大事だということか。「人はただ身の程を知れ草の葉の、露も重きは落つるものかな」(家康)。

2007年10月7日日曜日

温習会 - 女紅場学園

女紅場は、「にょこうば」と読み、正式には八坂女紅場学園という。祇園甲部歌舞練場に隣接し、明治初年設立のれっきとした専門学校だ。ここでは、祇園甲部の芸妓舞妓たちが、日々学んでいる。京舞、長唄、地唄、小唄、常磐津、清元、鳴物、茶道、能楽など、芸者としての基本は全部、それに加えて、習字、裁縫、お花など、教養一般も学ぶそうだ。春の「都をどり」は、1ヶ月間開催だが、秋は1週間程で、日ごろの練習成果のおさらい会だ。京都には一泊し、昨日夕方東京へ戻った。新幹線まで時間があったので、今回は、「今宮神社」から「北の天満宮(写真)」まで足を伸ばした。今宮の山門脇には2軒のあぶりもち屋さんが、向かいあっているのが有名だ。平安時代からあるという事だが、黄粉をまぶした親指大のもちを竹串に刺し、あぶったものに、甘い白味噌をつけて食す。このように、2軒が競い合うのは、峠の釜飯に始まり、多々ある。一軒だけだったら、競争もなく、とっくにつぶれていたのかもしれない。「競争」という事は、変化、進化には、必要条件なんだろう。今日は胃が痛いのでおとなしくしているが、明日はゴルフだ。