
相良総三、赤報隊隊長は、倒幕の先鋒として中仙道を進軍中に「偽官軍」の汚名を着せられて、下諏訪で斬首された。下総相馬(現在の利根,つくば市あたり)の商家出身で民の決起を基礎にした新日本の建国を説いたが、結局薩長倒幕派藩のバックを持つ新政府軍に使い捨てにされた。グローバル世界は、ある意味、この「草莽」のエリートが自律した民を先導する世界だとも言える。日本国のありようはこのあたりでまがったか?さて、昨日は長男、次男とこの相良の下総を抜けた向こうの石岡でゴルフをした(写真)。両名ともまだ修行がいるが、2-3年では抜かれるかもしれない。さて、草莽。「国に在るを市井の臣といい、野に在るを草莽の臣という(孟子)」。「草莽崛起、荳に他人の力を仮らんや。恐れながら、天朝も幕府・吾藩も入らぬ、只だ六尺の微軀が入用(松蔭)」。