2007年10月2日火曜日

「である国」と「する国」 - 親のかたき

最近の日本は、「子のかたき」のような事案が多い。それはともかく、「幕藩体制は親のかたき」と言ったのは、福澤諭吉、「『である事』と『する事』」と書いたのは丸山真男だ。二人は、「一生で二世を生きる」とも言っている。「である社会」と「『する社会』を目指そうとした社会」だ。昨日の所信表明を仔細に聞いたわけではないが、「この国」は今どちらへ向かっているのだろうか。「公的空間」の議論なく、成立した、たおやかな「国民国家」、JAPANは、岐路といわれて久しい。「である」という、フレーム(構造)があれば、その上でやればよいという「安心社会」が形成されるが、「する」というダイナミズム(機能)にすると、常にベンチマークを繰り返す、厳しいが効率的な社会となる、という考えがある。後者の代表はアメリカであり、前者には、ある期間の日本も入る。世論に迎合すれば衆愚政治もあり、やがて崩壊する事もある。グラックス等のローマ共和制を手本にした、理念の共和国、アメリカは、作られた実験国家だ。という事は、国とは「つくる」ものだとも言える。だから、西郷は「戦がたりもさん」と言ったのかも知れない。

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