2007年10月31日水曜日

生得か習得か - G人材問題

まさに「プラトンの問題」そのものに行き着くのだが、昨日も書いた世界の人材獲得競争では、それが問題だ。今朝の読売新聞で、日本の「初等教育の再生」の題字をチラと見たが、日本は「習得教育」的考えが強い。アメリカでは、「ギフテッド」のように、生得的な天才は、早期発見して、国家が支援育成する。スポーツでもそうだ。昨晩、野村監督が解説で、「努力して育つ奴より、努力以前の能力を持つ選手を、スカウトはもってこい」と言っていた。この人を生得的に好きではないが、この言は正しい。ビジネスでもそうだ。「結果がすべてではない」などと最近言われるが、それは言葉が足らない。「結果がすべてではないが、結果が出なければ話にならない」のだ。小学校の運動会で、手をつないでゴールしてどうするのだ!生得性に話を戻せば、差別主義には十分な配慮が必要だが、DNA的に優秀なヒトを「区別的」に獲得、活躍させ、「ロックのブランクスレート」に絵を描くように努力する秀才と組み会わせるのが、一番効率が良いのではないだろうか。正に、「スターサーチ」「シリコンバレーモデル」がこれに当たると思う。「誰もがエリートにはなれないが、誰もがエリートを支えて仕事を成功させる事はできる」、と思うが、違うか?

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