2008年1月22日火曜日

マイナリティーの視界 - 異質許容

私の記憶が確かならば、「Diversity」という事が、日本で言われだしてから10年位経つ。それも、一般社会ではなく、経団連とか、同友会とかの企業の勉強会や、指針の中での話しだ。文脈などは知らない。しかし、「同質性」の中で暮らす日本人、日本企業に、「多様性」の受容の必要性を説いたと理解している。今朝のCNNのトップページで、ヒラリー&オバマの並ぶ姿を見て、「それ」を思い出した。アフリカ系と女性系(?)。「多様性」の象徴みたいな顔ぶれだ。しかしだ。「Diversity」という言葉は、「アメリカは、どういう国か」という文脈や、「差別(Discrimination)の排除」の施策で、使われていたとも記憶している。「多文化の許容」なんてのは、60年代の市民運動あたりからだが、元々アメリカは「多様な国」で、「その共存」を進めてきたと思う。一方、日本は「同質だから、(アメリカのように)多様性を図れ」と言うのだが、どうだろうか。私とすれば、この「同質だと思っているという思い込みからの脱却への努力」なんてのが、必要なんではないかと思っている。どうでもいいか。

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