
仔細はしらないが、「これ以上の脳研究に反対する日本人がかなりたくさんいる」と、ある新聞にある。なんでだろうか。「脳無し」のなせるわざか。いや、これは「能無し」が正しい。ピンカーズも「進化心理学」を書くにあたり、かなりの「反対派」への配慮をしている。もっと言えば、デカルトだって、ガリレオ裁判を見て、書きかけの「大宇宙論(だったか?)」をしまいこんだらしい。アメリカみたいに、80%の国民が神を信じ、60%がキリスト教という国なら、進化論やら、心研究にチャチャを入れられるのは判るが、無宗教(という宗教)を標榜する日本人が、何を「根拠」に反対するのか。不思議だ。ここに、「不思議の国、ニッポン」の謎解きの鍵があるかもしれない。なんて、考えるが、別に暇だからというわけではない。多分、私的、身体的な古層を基礎に持つ日本人思想が、こういう身体性の解明に対し、「えも知れぬ不安感」を持つのではないか。あれだな、「祠の中をみたら石ころだった」ってやつだ。その石ころを投げたのは、竜馬だったか、諭吉だったか。忘れた。
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